KILLER IS DEAD XBOX360版

日本人的な美観 2013_09_08

 

貴人は人を殺さない。
例えば、水戸の黄門様は人を殺さないし、上士格の助さん・格さんも殺さない。
更にいえば、暴れん坊将軍の新さんなんかは、最も端的な例だ。
絶対自分では殺さない。
殺陣(たて)の時は、カチャッと刀を裏返す。
峰打ちであることを明確にアピールするためだと思われる。
どうしても殺さなければならないときは、お庭番の助八・お園に「成敗!」させる。
人を殺すと、どうしてもキャラクターに陰が出来てしまうので、大衆から尊敬を集めるキャラクターが直接殺してはいけないのである。
一方で、真逆を行くのが桃太郎侍の桃さんである。
桃さんは全部たたっ切る。
大名家の部屋住み設定で、跡を継ぐ気がないから問題ないと思われたのかもしれない。
それでも最終回で家督を相続させられそうになると、桃さんは逃げてしまった。
継いでくれないと御家お取りつぶしだ、と家臣に泣き付かれているにもかかわらず。
ここいら辺に日本人的な美観が強く反映されていて、如何に悪人相手とはいえ、さんざん人を殺しておいてハッピーエンドじゃ許されないのだろう、と私は推測する。


ところで直接関係はないのだが、このところ『KILLER IS DEAD』をプレイしていた。
XBOX360使わないなら捨てようかと思って使い道を考えてみたところ、唯一思いついたのがこれだったからである。
意外とまともなゲームだった。
面倒なので、興味があったらどんなゲームなのかは自分で調べていただきたい。
オートエイミングが弱く、先行入力をキャンセルできないので、きっちりプレイすることが求められたな。
シンドイ部分もあったけど、悪くはなかった。
ステージデザイン(装飾的な意味で)や敵キャラなんかには狂気が感じられて、結構好きだったな、私は。
依頼人がワケ分からないところも気に入っていた。
わかりやすい話より、多少煙に巻いてもらう方が私は好き。

しかしである。
じゃあ、一体このゲームが何を言いたいのか、を考えるとちょっと困ってしまう。
戦う前に「KILLER IS DEAD」と必ず主人公がつぶやくので、たぶんキーワードだと思うのだが、これを手がかりにすると理解し易すぎる気がするのである。
殺すモノはいずれ殺されるか、生き延びてもダークサイドに墜ちて人非人になってしまうので、結局人を殺した時点で殺し屋は死んでるも同然だ、って話だろうと思うのだ。
つまり殺し屋を始末しに行く主人公も既に死んでいる、ということになる。
もの凄く腑に落ちる。
日本人的は受け入れやすい話なんじゃないか。
ところが、ワケ分からない話なのに、こんなに腑に落ちて良いのだろうか、という気もするんだ。
何か他にあるのかな、とも思うのだが、私はそれ以外に思いつかない。

日本人からすると当たり前の感覚でも、外人さんなんかは「そんな考え方があるのか!凄い、斬新だ!」って思うのかなぁ。
アメリカ映画なんか見てると、揃いも揃って馬鹿ばっかりだから、そういうことも無いことは無いのかもしれないが・・・。


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