DEATH STRANDING、サーモンラン

書いてみて気付くむず痒さ 2019_12_26

 

『DEATH STRANDING』について書いているときに、私はむず痒さを感じてた。
ちょっと恥ずかしいような。
というのも、自分自身にも心当たりがあったからである。
人の役に立つことに喜びを感じることに。


さすがに『スプラトゥーン2』のプレイ時間も減ったきた。
最近は月60時間やってるかどうか怪しいぐらいじゃないかな。
しかもガチはXを維持するのに必要な最低限しかやっておらず、プレイの大半がサーモンランなのである。
このままだとギアの欠片がカンストしてしまいそう。
回数で言ったら累計1万5千回ぐらいやってるんだ。
その間に4万2千回ぐらいレスキューした。

そんなにやる意味あるのか?って思うでしょ。
私も無いと思うよ。
でも、『にゃんこ大戦争』の統率力が回復するまでの間に、これよりもやりたいゲームって、なかなか見つからないんだ。
これが一番楽しいから私はやり続けているのである。

最近では仲間が下手であればあるほど楽しい。
レスキューしたいの。
とにかくレスキュー。
死んでくれて全然OK。
年末が近づいてきて、新しいユーザーが増えたせいか、下手な人がメチャメチャ増えた。
入れ食い状態ですよ。
このところまた楽しくて仕方がない。

考えてみれば、これも人の役に立ちたいということなんだろう。
人の役に立ちたくて1万5千回もやってきたのかと思うと、ちょっと恥ずかしいでしょ。
いや、スゲー恥ずかしい。
でもそれが人間。
人の役立ちたくてもイイじゃない、人間だもの。
そう思うと、『DEATH STRANDING』もそれほど大した話でもないのかな。
時間をおいて見知らぬ誰かから「いいね」をもらう事が、リアルタイムで知らない人から「ナイス」をもらうことより嬉しいとは言えないだろうし。
『DEATH STRANDING』は挫折したのに、サーモンランは延々とやってる、という事実が私にとっては全てなんだろうね。


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