直感的とは何か

直感的とは何か 2011_10_18

 

前から思っていたのだが、「直感的」という言葉の使い方に納得出来ないときがある。
どうも、操作が簡単であることをもって、すべて「直感的」と呼んでいることもあるようだ。
この間もニュースを観ていたら、新しいiOSを紹介するときに、タッチパッドに触る指の数で機能が変わることを「直感的」と表現していて、これは不味いな、と思った。
この間と言っても、もう随分前のことだが。
何か具体的なゲームに絡めて書こうと思っていたのだけど、適当なものが見あたらない。
ざっくりとした話になってしまうかもしれないが、諦めて書こうかと思う。

例えば、扉の絵を描いて、扉の上に大きな○ボタンを設ける。
そして、「ボタンを押すと扉が開きます」と書いておけば、そりゃ初めて見た人でもボタンを押すかもしれない。
しかし、これは直感的でもなんでもない。
簡単ではあるが、人為的に創作されたルールを説明したに過ぎないのだ。
その一方で、扉の横やや上目に小さなボタンを付けておいたら、どうだろう?
見る者が、それを扉の横についた呼び鈴であると認識すれば、たとえ説明を受けなくても、ボタンを押すと扉を開けてくれる、と思うかもしれない。
それはつまり、操作対象に対する知識や経験から関連性や類似性を導き出しているわけだ。
新規なルールを覚える必要がない、という言い方をしても良い。
それが直感的、ということである。

これは非常に重要なポイントであると、私は思っている。
というのも、「簡単=直感的」という理解では重大な過ちを犯す可能性があるからだ。
自分が歳を取って分かるようになったが、そもそも我々は新規なルールを覚えたくないのである。
それは簡単か否かといった問題ではない。

現実問題として、例えば、PCに興味を持たない年寄りに教えようとしても上手く行かないことが多いでしょ。
この程度がなぜ理解出来ないのか分からない。
でも、覚えたくないから覚えないんだよね。
簡単だろうがなんだろうが関係ない。

だから、ゲームに関して言えば、創り手は想定するプレイヤー像にとって対象となるルールが新規なことなのか、を考える必要があるって事だ。
当然、想定するプレイヤー像によって、その知識や経験は異なる。
その結果、新規なことであれば、覚える動機があるかどうかも考える必要があるだろう。
動機がなければ、動機を創るところから始めなければならない。
危険なのは、「簡単=直感的」だと思って思考を止めてしまうことである。

直感的ってキーワードは今さらな感じもするが、ひょっとするとまた問題になってくるかもしれない。
これから、PS VITAなんかが出てくると、背面のタッチパネルを使って「直感的な操作」とか言い出すかもしれないからね。
果たして、本当にそれが直感的なのか、よくよく考えていただきたいものである。


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