ニュー・スーパーマリオブラザーズ_2

インフレーション 2006_06_19

 

『ニュー・スーパーマリオブラザーズ』は色んな意味で衝撃的だった。
最初はふざけているのかと思ったな。
しかし、やはり何事も勉強である。
この偉大なるリメイク作品をプレイすることによって、一つわかったことがあるのだ。
それは、ゲームの世界にもインフレーションがあって、創り手はそれと闘わなければならないらしい、ということである。

以前、『マリオ&ルイージRPG』をやってるときに思ったのだが、折角ジャンプしてブロックを叩いたのに特別嬉しくない。
ブロックを叩くアクションも地味だし、かといって特別なエフェクトがかかっているわけでもなく、大したアイテムが出てくるわけでもないのだ。
これは『2』になっても同じだったし、今回の『ニュー』に至っては尚更地味である。
ブロックを叩いたときの「ティローン」とかいうSEは気持ちよくないこともないけど、出てくるのは1コイン100ポイントに過ぎない。
なんかおかしいなと前から思ってた。

この「おかしいな」と感じることが実は問題だったのである。
私の中でゲームがインフレーションを起こしている。
正確にいうと、狭義のゲームではなく、その動機付けやゲームへの対価がインフレーションを起こしているのだ。

『ニュー』をやってみると、ゲームの本質的な部分というモノがよくわかる。
キャラに加速度が設定されていて、慣性があって、足場がどの程度の広さで、天井の高さがこうで、着地地点はどこで、って決めていくと、必然的にボタンを押すタイミングが決まってくる。
そのタイミングを計り、その通りに実践することがゲーム。
そこを如何に面白くするかが創り手に求められるところなんだけど、それは大昔から変わらないだろう。

だから、ゲームは別の部分で変わってきた。
『ニュー』の中で言えば、ジャンプすることに何らかの意味づけをしたり、ストーリー上の何かに置き換えたり、ブロックを叩く部分にエフェクトをかけたり、出てきたアイテムがゲーム上で大きな価値を持つようになるのだ。
そして、新しいゲームが創られる度、もっと!もっと!ってエスカレートしていった結果、今現在に至っているのである。
ゲームの本質部分でないところばかりに力が注がれている、と批判を受ける所以でもあるだろう。

ところが、任天堂はこのインフレーションを嫌っているようだ。
過度のインフレに陥らないように、出来るだけ地味にしようとしている。
プレイヤーの欲求をコントロールしてやろう、という意図を感じるな。
任天堂のゲームだけやっていれば、まあ、それで構わないかもしれない。

しかし、私みたいにずーっと継続してゲームをやってる人間は、任天堂ワールド以外の相場も知っているからね。
それは通用しない。
逆にいうと、私たちみたいなゲーマーを相手にするのは非効率的だとも言える。
手間暇かかる割に喜ばない連中だから。
任天堂は私たちを相手にしたくないのかもしれないな。
子供や今までゲームをしてこなかった大人を相手にした方が遥かに効率的だ。
だからこそ、Wiiで一回ゲームをリセットする、と言っているんだろう。

実をいうと、私は『ニュー・スーパーマリオブラザーズ』をプレイして、また新たな闘いを予感していた。
SCEとの闘いが終わったら、次は任天堂と闘うときが来るような気がするのだ。
私はゴージャスなゲームも好きだからね。
インフレに耐えながらも、ゲームの本質部分でなお頑張る人たちがいれば、それに越したことはない。
面白いゲームはこれからもいっぱい出てくるよ、きっと。

敵の敵は味方。
しかし、直近の敵がいなくなれば、また味方は敵に戻る。
もともとは任天堂と闘うところから私はスタートしたんだし、戻るべきところに戻ってくるだけかもしれないな。


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