私はしばしば昔書いた自分のゲーム話を読み返している。 このHPの最大の読者は私自身なのだ。 たまたま『デビルメイクライ4』について書いた「ジャンルにスタイリッシュ」を読み返していて、そういえばもっと凄いジャンル名を付けたゲームがあったな、と思いだした。 「∞クライマックス・アクション」ってなんだよ。 意味がわかんない。 勝手にジャンルを作るのも大概にしろっての。 今更ではあるけど、一応どんなゲームなのか確認はしておいた方が良いかな、と思って始めたのが『ベヨネッタ』。 しかしやってみたら、なるほどクライマックス・アクションだった。 ∞はよくわからないけど、最上級の、というぐらいの意味なんでしょ。 このことについてちょっと書いてみたい。 今我々がやっている敵と戦うアクションゲームの原型になっているのは、おそらく『ファイナルファイト』だろう。 あそこから格闘ゲームへ派生して、格闘ゲーム風の入力を3Dアクションに逆輸入したものを我々は今プレイしている。 つまりただ敵を倒すだけじゃなくて、自分のプレイを演出することが求められているのである、格闘ゲームがそうだったように。 下弱キック連打で倒すだけじゃ面白くない、しゃがみP連打で勝っても面白くないだろと格闘ゲームで言われたのと同じ事だ。 ところが、一人で遊ぶゲームだとプレイヤーが自分のプレイを演出してくれるとは限らないのである。 誰も見てないし、とりあえずの目標はクリアする事だからな。 クリアしたけど、ずっと同じ事ばっかりやってた、ということになりがちだった。 もちろん自分で演出できる人もいるけど、それはほんの一握りだろう。 そこで創り手はプレイヤーに技を繰り出すことが面白いことなんだ、と思ってもらえるように価値付けを行うことにした。 ムービーをストーリーの説明に使うだけじゃなくて、アクションそのものを誇張してカッコよく見せることに使ったのである。 君たちがやっているのはこんなすごいことなんだよ!ってね。 置き換える元の行為が凄いことであれば、そこから得られる喜びは増幅するはずである。 ここまでは『デビルメイクライ4』で既に実現されていた。 『ベヨネッタ』の凄いところはここから更に一歩進めて、プレイそのものをプレイヤーに任せっきりにしないで創り手側で演出してしまおうとしたところだ。 ガードさせないのもそうなんだけど、それだけじゃなくて、フィニッシュを特殊攻撃にしてみたり、シーンごとに異なる必殺技を導入して見せた。 もうプレイヤーに演出する気があるとかないとか関係ない。 強制的にクライマックスを演出してしまうのだ。 もう誰がやってもクライマックス。 これはなかなか凄いことだな。 プレイし始めてかなり早い段階で、なるほど「∞クライマックス・アクション」と名付けたのも頷けると思った。 それはもちろんゲームにおけるプレイヤーの取り分を奪うことにもなるから、こんなのイヤだ!っていう人もいるかもしれないけど。 私は凄く面白かったな。 |