ニュー・スーパーマリオブラザーズ

この程度なら知っている 2006_06_03

 

負い目があった。
世界一のゲーマーになりたい、などといっておきながら、私は『スーパーマリオブラザーズ』をやったことが一度もない。
現在のコンシューマーのゲームのベースになっている作品をまるで知らずに、私はゲーム話を書いているのである。
それは不味いんじゃないか、という思いは常にあった。

だが、今さらGBAの復刻版をやるわけにはいかない。
私にも意地があるのである。
今回、『ニュー・スーパーマリオブラザーズ』が発売されるのは、私にとって良いチャンスだったな。
かつて世界を席巻した『スーパーマリオブラザーズ』のエッセンスをそこに見出してみたかったのである。
『ニュー』が発売されるのを私は楽しみに待った。

しかし、実際に『ニュー』をプレイしてみて、何ら驚きは無かったな。
噂に聞く『スーパーマリオブラザーズ』はこの程度かと。
私は知っているよ、これぐらい。
考えてみれば当たり前で、今のゲームはここからスタートして出来上がったんだから、私は知らず知らずのうちに経験していたのである。

確かに良くできてはいる。
マリオに組み込まれた加速や慣性を計算に入れて、絶妙な位置にオブジェクトが配置されているのだ。
うわあ、イヤらしいわ、とか思わず嘆息することはあった。
ワンシーンワンシーンよく練り込まれているな。
『スーパーマリオブラザーズ』の後に続くゲームがこれを越えようとする余り、演出を豪華にしていった結果、ゲームの本質的な部分を忘れてしまった、と批判されることがあるのも判らなくはない。

私は豪華な演出も大好きだけどね。
プレイヤーが行う努力に対して、より大きな喜びを与えよう、という考え方は間違ってないと思うな、私は。
ゲームはより大きな喜びを求めて進化してきたし、これからも進化し続けていく。
決して止まることはない。

もちろん、新しくゲームの世界に入ってくる人のために、入門用のゲームだって必要だから、『ニュー』の存在理由はあると思うけど。
正直言って、私がやるべきゲームではないと感じている。
今となっては『スーパーマリオブラザーズ』を恐れる事なんて無かった。
今のゲームはもっと楽しいよ。



<後日談 2006_06_19>
この話を書いた時点では、実はクリアしていなかった。
あまりのつまらなさについ書いてしまったのだが、クリアしたときに印象が変わっているといけないので、クリアするまで載せないことにした。
ところが、なかなかプレイする気になれなくて、時間が経ってしまったな。
印象は最後まで変わらなかったから、そのまま載せておく。


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