トモダチコレクション

背徳の喜び 2009_08_02

 

『トモダチコレクション』。
発売されるまで私はこのゲームの存在すら知らなかった。
全く見たことも聞いたこともないタイトルが売れているのを確認してから、ようやくこのゲームをプレイし始めたのである。
まだプレイし始めて3週間ほど。
プレイ時間でいえば、おそらく全体で3時間もプレイしていないぐらいじゃないか。
住人の数もわずかに9人体制である。

それでも、一つ感じていることがある。
何となく『Nintendogs』をプレイするのに近い感じがしているのだ。
これはちょっとダークな感覚なんじゃないか。
このダークな感覚を説明するためには、多少説明が必要かもしれない。

このゲーム、まず自分のそっくりさんをゲームの中に作る。
もちろん一人だけじゃ意味がないので、タイトルが指し示すようにトモダチも作る。
私の場合、友達は一人もいない事になっているので多少生理的抵抗感はあるが、やむを得ないから職場の同僚なんかをメイキングするわけだ。
あんまり凝ったメイキングはできないし、自分の記憶もあいまいなんだけど、作ってみると、「ああ、こいつこいつ」って感じで、意外と似ているような気がしてくる。

で、こいつ等をアパートメントみたいな所に住まわせる。
基本的にはこいつ等は勝手に行動するのだが、プレイヤーはその行動に干渉することが可能である。
食事を与えたり、アイテムを与えるばかりでなく、恋愛にも口を挟むことが出来る。
仲良くなるにはプレイヤーが紹介してやらないといけないし、プレイヤーが相性を判断することによって仲を取り持ったり、壊したりすることも可能だ。
お金とアイテムによる縛りはあるけど、概ねプレイヤーは万能である。

プレイしていて、私はなんだか自分が彼らの飼い主のような気がしてきた。
食事を与えることがえさを与えることに近い感触だからかもしれないな。
この現実に存在する人達を支配するような感覚はちょっと背徳的だな。
またそれが結構楽しい。
背徳の喜びですよ。
だって、みんな実在の人物がベースになってるんだよ。
ちょっと意地悪もしたくなるよね。
Sさんに彼女ができないようにしたり、いつも変な服ばかり着せたり、ついやってしまう。

我々がやっているゲームっていうのは置き換えることによって、喜びを増加させることが出来るんだけど、当然ながらこういう置き換えもあるわけだ。
動作を置き換えるだけじゃなく、キャラを置き換える。
それも、アニメキャラとかじゃなくて、現実の人間に置き換えるというあたり、なかなか素晴らく且つイヤらしい着眼だよな。
Miiという既に作ってあるユーザーをゲーム中におくことで喜びは更に増加するだろう。
置き換えの同一性が高まるからね。

創り手の方でもこのイモーラルな感触を狙って創っているんじゃないか、という気はする。
もうちょっと観察寄りのつくり方もあったはずだからな。
このゲーム、明らかに観察よりは干渉を目的としたゲームのように思える。


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