ロックマンエグゼ2

日本人のイマジネーション 2002_02_06

 

だいぶ昔のことになるが、「Gガンダム」というアニメを見て、これは凄いイマジネーションだな、と思った。
だって、あり得ないよ。
「デビルガンダム」ってそもそも何だ?
何で触手が生えているんだ!?
お前機械じゃないのか?
「デビルガンダム細胞」って何だ?
そりゃ生物だろ!
ガンダムである必要がどこにあるんだ!

「Gガンダム」というのは、ストーリーからして、「各国のガンダム代表が国の利権をガンダムファイトで決める」などという不可思議極まりないものだったのだが、話の細部に至っては笑ってしまうほどに滑稽であった。
しかし、これが熱く面白かったのである。
私は基本的にファーストガンダム以外許さない、という立場なのだが、あれは許す。

考えてみるに、あんなイマジネーションを発揮できるのは、日本人しかあり得ないのではないか。
私は日本人に生まれてきたことを誇りに思ったものである。

こんな事を今頃になって書いているのは、『バトルネットワーク ロックマンエグゼ2』というゲームをプレイして、またこれはただ者のイマジネーションではないな、と思い知らされたからだ。
だって思いつくはずがない。
プログラムによって人格が作られるのではなく、プログラムそのものに人格があるなんて。
この発想の転換!

この『バトルネットワーク ロックマンエグゼ2』の世界では、皆「PET」という携帯端末を持って暮らしており、その中には「ナビ」が住んでいるのである。
「ナビ」というからにはナビゲーターのことだろう。
そこまでは良いとして、「ナビ」がハードに依存しない独自の人格を持つ不思議。
ちょっとでもパソコンをさわったことのある人だったら、こういう発想は絶対出ないと私は思うのである。
「ナビ」であるところの「ロックマン」達はネットワークの世界を自由に行き来しているのだ。
しかも「ロックマン」には彼女がいる!友がいる!
お前はプログラムじゃないのか!と私は思った。
恐るべし、クリエイターの想像力。

とうとうゲームにもこんなイマジネーションが溢れてきた。
私は日本人に生まれてきたことを誇りに思うと同時に、ゲーマーに生まれてきたことをも誇りに思いたいのである。


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