だいぶ昔のことになるが、「Gガンダム」というアニメを見て、これは凄いイマジネーションだな、と思った。 だって、あり得ないよ。 「デビルガンダム」ってそもそも何だ? 何で触手が生えているんだ!? お前機械じゃないのか? 「デビルガンダム細胞」って何だ? そりゃ生物だろ! ガンダムである必要がどこにあるんだ! 「Gガンダム」というのは、ストーリーからして、「各国のガンダム代表が国の利権をガンダムファイトで決める」などという不可思議極まりないものだったのだが、話の細部に至っては笑ってしまうほどに滑稽であった。 しかし、これが熱く面白かったのである。 私は基本的にファーストガンダム以外許さない、という立場なのだが、あれは許す。 考えてみるに、あんなイマジネーションを発揮できるのは、日本人しかあり得ないのではないか。 私は日本人に生まれてきたことを誇りに思ったものである。 こんな事を今頃になって書いているのは、『バトルネットワーク ロックマンエグゼ2』というゲームをプレイして、またこれはただ者のイマジネーションではないな、と思い知らされたからだ。 だって思いつくはずがない。 プログラムによって人格が作られるのではなく、プログラムそのものに人格があるなんて。 この発想の転換! この『バトルネットワーク ロックマンエグゼ2』の世界では、皆「PET」という携帯端末を持って暮らしており、その中には「ナビ」が住んでいるのである。 「ナビ」というからにはナビゲーターのことだろう。 そこまでは良いとして、「ナビ」がハードに依存しない独自の人格を持つ不思議。 ちょっとでもパソコンをさわったことのある人だったら、こういう発想は絶対出ないと私は思うのである。 「ナビ」であるところの「ロックマン」達はネットワークの世界を自由に行き来しているのだ。 しかも「ロックマン」には彼女がいる!友がいる! お前はプログラムじゃないのか!と私は思った。 恐るべし、クリエイターの想像力。 とうとうゲームにもこんなイマジネーションが溢れてきた。 私は日本人に生まれてきたことを誇りに思うと同時に、ゲーマーに生まれてきたことをも誇りに思いたいのである。 |