私は飯野賢治が大嫌いである。 いきなりなのだが。 はじめから嫌いだったわけではない。 SCEが主催する発表会でSSに寝返ることを表明したこの男は、ある時期においてSS陣営にとって重要な人物であった。(もっとも、あの行為自体は気持ちの良いものではなかったが) 実際『エネミーゼロ』に対しては、素直に高い評価をおいているのである、私は。 私が飯野氏のことを嫌いになったのは、ある深夜番組を見てからのことである。 その番組がいったい何なのか私にはわからなかったのだが、彼はゲームデザイナーを目指す若者たちを前にしてトークショーみたいなことをやっていたようだ。 「ゲームの世界はもっと若い人が出てこないとダメなんだよ」などと調子のいいことをいう彼を、さもありがたそうに見つめる若者たちが画面に映っていた。 それを見たとき、私は醜いと思った。 とても画面を見続けることなどできなかったのである。 どうもそれ以来、飯野氏を見ると胡散臭い男のような気がするのだ。 それどころか、実はゲームを作っている自分を卑下しているのではないか?といった疑問まで私は持つようになった。 彼の既存の権威に対する心酔を見ていると、ゲームの世界を低く見ているような気がして仕方がなかったのだ。 ここでいう「既存の権威」とは、芸能界・音楽界・映画界などを指している。 最近すっかり姿を見なくなった飯野氏の話を何故今頃書いているかというと、今ちょうど私が『リアルサウンド〜風のリグレット〜』をクリアしたところだからである。 私はこのゲームをどう感じたのか? 実をいうと、この文章を書く前に、他の方がどういう感想を持ったのか調べてみた。 すると、どうも私が書くべきことは何もないようである。 私の感想を一言で言えば、良くできたラジオドラマの域を出ていない、というごくありふれたものだった。 一つだけ気になっていることがあるので、ここではそれにだけ触れておきたい。 飯野氏は『風のリグレット』の発売後、こんなようなコメントを出していたはずだ。 「脚本料を印税方式にしていたのだが、売れなくて申し訳ない。この手の話を頼みにくくなってしまった」と。 ということは、もっと売れると思っていたということである。 私たちは平素TVドラマを無料で見ている。 視聴率30%を越えるような大人気ドラマでも無料なのだ。 どんなに出来が良くても、6400円なり4800円なりのお金を出して、ドラマを買うだろうか? いかに音にこだわりがあろうとも、映像なしのドラマを。 普通に考えたら売れないと見る方が妥当だと思うのである。 私はこのゲームのどこら辺に売れると確信できる要素があるのか、考えながらプレイを進めていたのだが、ついに見つけることはできなかった。 ひょっとして飯野氏は、当時、時代の寵児だった自分を過大評価しすぎていたではないか。 あるいは既存の権威を信じすぎていたのではないか。 そんな風に思えてきたのである。 これは私が飯野氏のことを嫌いだからだろうか? 私に見えなかった(聞こえなかった)何かが、飯野氏には見えていたのだろうか? はてさて。 <実は・・・> これは一ヶ月以上も前に書いた文面を再現したモノです。 ハードディスクがクラッシュして、消えてしまいました。 ゲームを終えたときに書いた文面通りには、どうしても書けないんですよね。 熱いものがないというか・・。 |