スーパーマリオサンシャイン

井川遥とピーチ姫 2002_08_07

 

ゲームを買ってきて、いきなりゲームを開始する人がいるか?
おそらく大抵の人はスタートボタンを連打したりはしないだろう。
まず、どんなデモが入っているのか確かめたいはず。
デモを眺めているうちに、ゲームへの期待が高まっていくのである。

しかし、『スーパーマリオサンシャイン』のデモを見て私は驚いた。
ピーチ姫の唇がとても厚い!
これはバタ臭いということなのか。
またえらいデザインにしてきたもんだね、とビックリしたわけだ。

「ビーチ姫がバタ臭い」のならば、それは「マリオ」がとうとう日本向けだけには創られなくなったということである。
一昔前はまず日本向けをつくって、それを海外向けに仕立て直していたわけだが、今は始めからワールドワイドにゲームを制作する時代になったのだ。
だから、市場規模の大きい方にデザインもシフトしてしまうのだろう。

「そうか、マリオもとうとう私たちの手を離れてしまったね」と、ちょっとした感慨がないでもない。
もっとも、私は特別マリオに深い思い入れがあるわけではないのだが。
ほんの数年前までは、むしろ憎むべき対象であった。

まあしかし、ピーチ姫のデザインとゲーム内容には関係がないだろうから(「ピーチ姫がバタ臭い」ということが「ゲーム内容もバタ臭い」ということを示している可能性はあるにしても)、そんなことはどうでもいいといえば、どうでもいいことである。

ところが、私はピーチ姫の姿ばかり見る事になってしまった。
どうしてかというと、ゲームが難しくて、平日はちょっと勘弁して欲しい、と思ったからである。
テレビ画面にはデモだけがひたすら流れ続けていた。
全くの余談なのだが、「月火水木キン×マーン♪、金土日は遊びたい、ヤッホー♪」とか思ったりした。
そんなこんなでここ数日、私はピーチ姫の顔を毎日眺めることになったわけだ。

ある日私は既視感を覚えた、このピーチ姫の厚い唇に。
この唇は「井川遥」じゃないのか?と。
だって、この厚さ尋常じゃない!

「歌は世につれ、世は歌につれ」などと世間ではいう。
『スーパーマリオサンシャイン』が井川遥の影響を受けないと誰に言い切れようか。
「ゲームは世につれ、世はゲームにつれ」である。
ピーチ姫はバタ臭いのではなく、井川遥の影響を受けているんだ!という話になれば、私たちはまだ「マリオ」を手放していないことになる。
そう思っておいた方が良いんじゃないか?
私達はゲームのアイデンティティを守るためならば、井川遥を持ち出すことにだってやぶさかではないのである。

「そんなわけないでしょ!」
そうおっしゃる方には、私はこう答えたいのである。
「いやいや、井川遥の唇もなかなかどうして侮れませんよ」と。
あれはとても良いものですからね。


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