ゲームを買ってきて、いきなりゲームを開始する人がいるか? おそらく大抵の人はスタートボタンを連打したりはしないだろう。 まず、どんなデモが入っているのか確かめたいはず。 デモを眺めているうちに、ゲームへの期待が高まっていくのである。 しかし、『スーパーマリオサンシャイン』のデモを見て私は驚いた。 ピーチ姫の唇がとても厚い! これはバタ臭いということなのか。 またえらいデザインにしてきたもんだね、とビックリしたわけだ。 「ビーチ姫がバタ臭い」のならば、それは「マリオ」がとうとう日本向けだけには創られなくなったということである。 一昔前はまず日本向けをつくって、それを海外向けに仕立て直していたわけだが、今は始めからワールドワイドにゲームを制作する時代になったのだ。 だから、市場規模の大きい方にデザインもシフトしてしまうのだろう。 「そうか、マリオもとうとう私たちの手を離れてしまったね」と、ちょっとした感慨がないでもない。 もっとも、私は特別マリオに深い思い入れがあるわけではないのだが。 ほんの数年前までは、むしろ憎むべき対象であった。 まあしかし、ピーチ姫のデザインとゲーム内容には関係がないだろうから(「ピーチ姫がバタ臭い」ということが「ゲーム内容もバタ臭い」ということを示している可能性はあるにしても)、そんなことはどうでもいいといえば、どうでもいいことである。 ところが、私はピーチ姫の姿ばかり見る事になってしまった。 どうしてかというと、ゲームが難しくて、平日はちょっと勘弁して欲しい、と思ったからである。 テレビ画面にはデモだけがひたすら流れ続けていた。 全くの余談なのだが、「月火水木キン×マーン♪、金土日は遊びたい、ヤッホー♪」とか思ったりした。 そんなこんなでここ数日、私はピーチ姫の顔を毎日眺めることになったわけだ。 ある日私は既視感を覚えた、このピーチ姫の厚い唇に。 この唇は「井川遥」じゃないのか?と。 だって、この厚さ尋常じゃない! 「歌は世につれ、世は歌につれ」などと世間ではいう。 『スーパーマリオサンシャイン』が井川遥の影響を受けないと誰に言い切れようか。 「ゲームは世につれ、世はゲームにつれ」である。 ピーチ姫はバタ臭いのではなく、井川遥の影響を受けているんだ!という話になれば、私たちはまだ「マリオ」を手放していないことになる。 そう思っておいた方が良いんじゃないか? 私達はゲームのアイデンティティを守るためならば、井川遥を持ち出すことにだってやぶさかではないのである。 「そんなわけないでしょ!」 そうおっしゃる方には、私はこう答えたいのである。 「いやいや、井川遥の唇もなかなかどうして侮れませんよ」と。 あれはとても良いものですからね。 |