CROSS†CHANNEL_2

人を描くテーマ 2004_07_12

 

人を求めること。
孤独を欲すること。
人間はいつも両方を求めている。
もちろん、都合の良いときだけ人を求めることもあれば、都合の良いときだけ孤独を欲する時もある。
そこいらへんを如何に上手くバランス取りしていくか、が心安らかに生きていく秘訣だと言えるのかもしれない。
人を描くテーマとしては、これほど適当な題材も他にないだろう。

これから『CROSS†CHANNEL』という作品を考えるにあたって、『家族計画』と同じ軸を持ち込んでみたい。
根底にあるところは同じだろうな、と思うからだ。

『家族計画』の主人公は人と交わることを避ける人間である。
人と交わると辛いことばっかりだから、交わるのは止めようと。
しかし、それでも人は人を欲する。
それを正当化するとしたら、家族しかないだろう。
家族というのは選択する余地のない互助組織である。
この家族の持つ機能を人と人が交わるための口実として使ってやろうじゃないか、という作品だったと私は考えている。
家族そのものを描いた作品ではない。

『CROSS†CHANNEL』の主人公は、逆で、原則的に人と普通に交わりたいという欲求の持ち主である。
ところが、この主人公は人と交わることで、人を傷つけ、自分も傷つく。
病的なまでに人を傷つけ、人に傷つくのだ。
一体どうすれば良いんだろう?という話である。

『CROSS†CHANNEL』の中での答えは、結局試行錯誤しかないんだよね、ということのようである。
その為の無限ループ。
『CROSS†CHANNEL』は無限に同じ一週間が回り続ける世界なのだ。
人間は繰り返し傷つくことに耐えられるほど強くないから、毎週リセットをかけてあげる。
何回でもやり直せるように。
物事は常にカオスだ。
可能性は小さくても必ず解はある。
登場人物を8人に絞ったのは、可能性の幅を狭めて、解へ辿り着き易くしたかったのかもね。

ただ、私はこの『CROSS†CHANNEL』をプレイしても、特別感動したりはしない。
主人公の黒須君と私は考え方は一致していても立場が違う。
私はそもそも人と交わることを欲しないのだ。
なぜならば、私は孤独を愛するけど、完全に孤独にはなり得ないことを知っているからである。(高を括っているともいう)
生きていればイヤでも人と交わらなきゃならない。
世界は消失したりしないのである。

この作品では極めて特殊な状況が設定されているけど、ここまで特殊にしないと人間って描けないのかなあ、っていう気分はあるんだ。
考えるだけなら、黒須君が考えることは私にだって考えられることだからね。
これはごく普通の話ですよ。

そういえば、『CROSS†CHANNEL』について何も説明してないような気がするけど、まあ、別にいいだろうと思っている。
無理に知らなきゃならない道理もない。



戻る