テレビゲームはなんらかの得をするものである。 私は、結果からそう定義することも出来る、と考えてきた。 仮にそれで十分であるならば、ひたすら得だけすればいい事になってしまい、極論すればQTEこそが最高のテレビゲームだという結論に至ってしまう。 しかし、それは我々の感覚とは一致しない。 敢えて得をしない事で得られる喜びを大きくする、というアプローチもあるのだ。 『Human Fall Flat』は久々にプリミティブな喜びを味わえるゲームだった。 私はこのゲームをNSのeShopで見つけた。 しかし買ったのはSteamで。 だって、PC向けに開発されたものをNSの携帯モードでやっても見づらいだけじゃん。 どうせやるなら、安くてハイパフォーマンスなPCでやった方がいいでしょ。 あとでやろうと思って、セールの時に買っておいたのである。 もっとも、360互換コントローラーが上手く機能しなくて、結局キーボードとマウスでやる事になった。 慣れなくて、最初はちょっと苦戦したな。 ハードウェアが固定されている事にもやはり意義はある。 それはまあいいとして、『Human Fall Flat』はジャンルで言うと脱出アドベンチャーに分類されるのかな。 特徴的なのが、物理シミュレーターになっている事。 重力や慣性、あるいはてこの原理なんかを使って、謎を解いていく。 しかも、サービスは一切してくれない。 よくあるゲームの世界では、物を拾ったり、ハンドルを回したりするとき、ボタン一つで出来るようになっているものだが、このゲームでは全て自分でやる。 例えば、ハンドルを回すときは、ハンドルに手をくっつけて、そのまま体ごと上下左右に振り回してハンドルを回すのである。 なにより重要で最もビックリするのが段差を登るときで、縁に両手をくっつけた状態で視点を下げることで腕をたたんで登りつつ、ほどよいところで手を離して前進しなければならない。 これが出来るようになるまで、かなり苦労した。 ホントに超メンド臭いゲーム。 しかしそれが良い。 謎解き自体は比較的簡単で、難しいのは最後の方の2つ3つだけ。 思いついた事を如何に実践するか、というところにこのゲームの面白さがある。 失敗してもペナルティは基本的にないので、いくらでも試す事ができるのだ。 失敗を繰り返した挙げ句に乗り越えたときの喜びは何物にも代えがたい。 しかも、物理シミュレーターだけあって、思いがけずクリア出来てしまったりするところも意外性があって面白かった。 こういうゲームもアリなんだな、と久々に思い出させてくれるゲームだった。 もちろん、高いところから飛び降りてもリスクのない世界を物理シミュレーターで創り上げている時点で何らかの得はしているので、必要条件である事は揺らいでいない。 そもそもが何事かを出来ないようにするのがゲームだから、便利になればなるほどいい、などという事はあり得ないのだ。 要するに創り手の狙いがどこにあるのかって事なんだろうな。 敢えて不便にする事で喜びが大きくなるのであれば、創り手はそれを選択する事もあるわけだ。 |