ファイナルファンタジー]−2

名こそ惜しけれ 2003_07_11〜19

 

これは非道いな。
誰がシューレンとリンの物語なんか知りたいねん。
知りたいのはティーダとユウナの物語だろ。
末端でこのゲームをつくった皆さんに罪があるとは思わないが、「前作の開発データを使い回して一儲けしよう」と企んだ人間及び「『12』じゃなくて『]−2』なんだからこれでイイだろう」とゴーサインを出した人間は厳罰に処せられるべきである。
私が遠山左衛門尉ならば、市中引き回しの上打ち首獄門を申し渡す。
二度とゲームの世界で仕事をするな。
もちろん「このゲーム」というのは『ファイナルファンタジー]−2』。
こんな不誠実なゲーム、見たことない。

このゲームは確かに嘘は付いていない。
きっかけはティーダに似ている人が映ったスフィアを見たこと、だとしか言ってないわけだから。
しかし、少なくともプレイヤーが何を望んで『]−2』を買うかということはわかっているはず。
そうじゃないと、ああいうCMを流すはずがない。

ところが、あのCMに使ってるシーン、夢オチなのである。
信じられない。
オマケに夢の中ですら、当人ではないという有様。
あんなのが許されるのか。
JAROに訴えるよ。

一概に悪いとは言い切れないと思う、『ファイナルファンタジー]−2』。
戦闘システムは好きずきだし、ナギ節が訪れた後の世界を描くのも悪くはないし、ユウナの成長を描くのも悪いとはいえない。
「シン」という共通の脅威を失い、採るべきスタンスが解らなくなっている人々を描くのもそりゃ面白いだろう。
だったら、そういうゲームだって言えばいい。
なんか言えない理由があるのか?という話である。

物事には理由がある。
これは騙しにかかるしかなかったんだろう。
だって、そもそも描きたいことなんか無かったんだから。
そうとしか思いようがない。
『]』に出てきたちょい役のその後なんかどうでもいいじゃん。
世の中面白いゲームいっぱいあるのに、わざわざミニゲームやらせなくてもいいじゃん。
無理矢理つくってるのだ、これは。

ゲーム以前の問題と言わざるを得ない。
また所々に茶化しが入ってて、これが腹を立てているプレイヤーの神経を逆撫でするのである。
私は腹が立った。

更にたちが悪いことには、これに騙されたからといって『ファイナルファンタジー12』をみんなが買わないか、といったらそうではないだろう。
平均的なゲーマーにとって、FFシリーズより信頼できるゲームは他にないからね。
『]−2』で半ば詐欺的に儲けても、スクウェアには実質なんの損失もないのである。
これがまたむかつく。
いや、ムカツキ!

こういう事態にあっては、「名こそ惜しけれ」の精神に期待するより他にない。
ただ制作を決断するだけで数十億からの利益が上がるのは目に見えていて、かつ実質的に信用も失わないという状況があった。
それを拒絶せしめる力になるのは、自分の名を惜しむこと以外には考えられない。
いかなる時でも、自分を貶めてはならないはずだ。
もっとも、現場でゲームを創っていない人たちに、それを望むことなど出来るはずもないのだが・・・。



<補足 2003_07_19>

この文面は途中まで書いて、一回中断した。
復活エンディングを見ないで書くのはまずいなと思ったからだ。
しかし、2周目に復活エンディングを見ても、結局見解ははじめと変わらなかった。

もし、ホントにユウナの成長を描きたかったのなら、私が思うにティーダは復活しないはずだ。
大切なものを失わずして大きな成長があった、とするのは話として面白くないからね。

あの復活は多分、「騙してごめんなさい」ということなんだ。
これで許してちょんまげ!って。
一種のサービスなんじゃないか。

『]』のエンディングはかなり微妙なバランスで終結しているので、本来はアンタッチャブルだと私は思う。
復活しているようで、ユウナと対面するところまでは描かないのがイイ。
都市が丸ごと召還されちゃうような世界だからティーダが召還されてもおかしくはないけど、もし召還できちゃうんだったら、愛する人を失った他の人も召還したいだろうから。
ユウナの思いだけが特別っていうのはおかしいもんね。
だから、結末はあやふやにしておかないと。

やはり、『]-2』はかなり無理矢理な作品だな、という感はぬぐえない。
ゲーム自体がひどく悪いとは思わないけど。
経験値稼ぎしたりするのは、さほど苦にならなかった。



<後日談 2003_09_29>

よく考えたら、こんなに怒る資格は私にはなかった。
新品で買ってる訳じゃないから。

誰か私の代わりに激しく怒ってください。
またスクウェアは一儲け企んでいるようです。



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