私はゲームのことを考えるとき、タイトルにはそれなりに注目する。 創り手が何を考えていたのか、を推測する際の手がかりになると思うからである。 もっとも、近頃はキャッチーなタイトルをつけるのが流行りだから、全く何の意味もないケースも多いんだけども。 3DSのダウンロードソフトとして発売された『引ク押ス』を最初に見たときには全く気づかなかったのだが、このタイトル「ク」と「ス」がカタカナになっていた。 ホームページなんかを見ると「ヒクオス」と表記されているところもあって、どうやら『ピクロス』との類似を意識している節がある。 でも遊んでみると、だいぶ違うな。 ゲームが違うのは当たり前なんだけど、喜びの性質というか、どっちが喜びを得るのか、という点に大きな違いがあった。 『引ク押ス』は、3DSのダウンロードソフトの中で700円とちょっと高めの値段設定がなされているから、それなりに手の込んだ作品だろう、と予想していた。 実際なかなか良く出来たアクションパズルゲームだった。 ブロックが三段階に引き出せるようになっていて、ブロックを足場に上へ登っていき、迷子?を救出していく。 そのブロックが色分けされていたり、同色でつながってたりして、全体として絵になっているところが、『ピクロス』を意識した名前になっている所以だろう。 ところが、一つ決定的に違うところがあって、絵が喜びに寄与してないんだよね、こっちは。 最初から絵が見えちゃってるから。 『ピクロス』だったら、だんだん絵が出来てきて、完成したら嬉しいじゃん。 困ったら、絵を推測して冒険する手もあるしね。 そういうの全くないんだ、『引ク押ス』には。 しかも、複雑な絵を描こうとするとどうしても大きくなるんだけど、大きくなると全体が把握し辛くなるんだよ。 難易度の上昇がパズルの難しさというよりも、全体を把握しにくくなることに掛かっているような印象があって、複雑な絵のステージをやってても全然嬉しくない。 むしろ小さいステージの方が、「これは良く出来てるわ!」って感心することが多かった。 逆に、パズルを創る方は面白いかもしれないけどね。 絵のできあがりとパズルが上手く噛み合ってる必要があるから、創作側の難易度が高くなることは想像に難くない。 創ってる人は達成感があるだろう。 そのことは、創作側に回ってみるのにも大きな敷居があることを意味する。 とりあえず絵を描けば、それが勝手にパズルになる『ピクロス』とは、そういう意味でも違うな。 私の印象としては、『ピクロス』とは全然違って、割とストイックなゲームだったな、『引ク押ス』は。 絵から喜びを得ていないということは、純粋にパズルから喜びを得ているわけだから。 カタカナで発売しなくて正解だったかもしれないね。 |