マジカルバケーション

ぎゅうぎゅうに詰まって 2001_12_31

 

GBAで、どうしてこんなに面白いゲームを創ってしまうのか?
PS2、GCと比べたら非力なことは明らかだし、DCと比べたって劣るであろうGBAで。
面目丸つぶれだ!と枕を涙で濡らしているクリエイターが沢山いそうである。
『マジカルバケーション』は怪物君だったのだ。

とにかく、ぎゅうぎゅうに詰まっていた、このゲームは。
物語が高密度なら、プレイヤーに要求するものもただ事ではなかった。
やるべきことはいっぱいあったのである。
普通なら「めんどくせえぇ!」と投げ出してしまいたくなるところが、そうはならない。
極めてコンパクトにまとまっているのだ。
それは面白さの密度が高いということを意味する。

少しだけ具体的に書こう。
例えば、キャラクターが15人いるからといって、いちいち全員の物語を書かないで、一本の筋道でキャラを立てていく。
短くてパンチの効いたテキスト。
マップは徒に大きすぎず。
決して広くはないマップ上であっても、ただ歩かせるだけでなく、シールや精霊を探しながら歩かせる。
戦闘システムは精霊数(n)に応じた倍率(2のn乗)効果導入する事により、上手に戦うと短時間で終わる上に、ヘマすると即全滅の緊張感をプラス。(精霊はなんと16種。それぞれに強弱関係あり)
加えて「こんにゃく様集め」などの収集要素。

沢山のことが余りにもコンパクトにまとまっているので、ゲームデザイン自体がパズルの様だと私は感じた。
「コンパクト」という意味は、テキスト的であると、時間的であると、マップデザイン的であるとを問わない。
凄まじい完成度であった。

私は、何でGBAでこういうのを創っちゃうんですか?やめてください!と思うのである。
私は帰省するとき必ずゲームマシンを持って帰るのだが、今年はGBAを握りしめる姿をさらす羽目になった。
もはやそこに言葉はなかったのである。

まあ、それはいいとして、話を冒頭の「GBAで、どうしてこんなに面白いゲームを作ってしまうのか?」に戻したい。
感動の余り、プレイしながらこれを考えずにはいられなかった。

すると、逆にGBAだからだったのかな、と思えてくるのである。
GBAのキーワードは「制限」。
作り手としては、画面効果はこの辺が限界、メモリの容量はこの辺が限界、というのが見えている。
しかも携帯用ということで、想定する一戦闘時間、あるいは総プレイ時間も少し短めに、とか、一度に表示できるキャラ数はこれぐらい、とか必然的に決まってくる。
そういう制限が最初にあればこそ、その中に面白さを詰め込むためにはどうすのればいいのか?という思考を巡らせることが出来るのではなかろうか。

もっとも、こういう話を進めていくと、結局ゲームマシンは新しくならなくてもいいんじゃないの?という話になってしまいそうである。
制限がなくなると面白いゲームが作れなくなる、ということならば。
だが、私はそうは思いたくない。
むしろ、これはアンチテーゼなんだと思いたい。
あれもこれも出来る中で、ゲームの面白さがどこにあるのかを見失いがちな次世代機、次次世代機に対する。

GBAはアンチテーゼというには余りにもメジャーすぎるので、応援したくはないのだが。
かつてGBがそういわれたように、GBAも「結局この10年の勝者は、PS2でもなくGCでもなく、ましてやXboxでもなくて・・・」なんて話になったら困りものである。
ホントになりそうなんだよなあ・・・。


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