リスクを取りたくない時代のヒゲじいと

リスクを取りたくない時代のヒゲじいと 2011_01_15

 

NHKで放送している『ダーウィンが来た』という動物番組に、「ヒゲじい」という架空の生物が出てくる。
特集されている動物の振る舞いに毎回質問したあげく親父ギャクを放って帰っていく小粋なヤツだ。
しかし、実況掲示板なんかを見ていると、ちょっと不思議な現象に気づく。
ヒゲじいが親父ギャクを言った瞬間から、「ヒゲじい死ね」に類する書き込みがずらっと並ぶのである。
ヒゲじいはそんなに悪くないと思うけどな、私は。
おそらくヒゲじいが悪い訳じゃないんだろう。
「死ね」って書きたいんだ。
それも安心して。

いまの世の中、掲示板に「殺す」って書くと警察沙汰になる。
警察も動かないと、何かあったときに世論に叩かれるからな。
とはいえ、「死ね」はセーフのはずである。
自分が加害者になる訳じゃないから。
でも、後味の悪い行為はしたくない、みたいなところもあるんじゃないか。
自殺志願者に、どうせ死ぬ死ぬ詐欺だろ、死ねよ、とか書いてホントに死なれたらショックだからね。
そういう事件が実際にあったそうだけど。
実在の人間に向かって「死ね」と言うのは多少リスクがある。
だからヒゲじいに向かって「死ね」と書くんじゃないか。
世間的に悪いと言われている行為をやりたくてやりたくてしょうがない、でもリスクは取りたくない、だから、架空のキャラであるヒゲじいに向かって悪態をつく。
いまはそういう時代なのかもしれない。

ところで、ゲームの世界にもいるよな、同じ立場のキャラが。
ゾンビは正にそうなんじゃないか。

結局、『デッドライジング2』は何が面白いのかよくわからなかった。
冒頭で、人間のなれの果てであるゾンビを娯楽のために惨殺する人間の愚かさを描いて見せながら、プレイヤーにそれを楽しめ、といっている不思議なゲームだったな。
あれの何が楽しいのか、どうにも分からないんだよ。
理解するのを私は諦めた。

ただ『デッドライジング2』に限らず、ゾンビというものの性質はよくわかるゲームだな。
元々は人間であって、見た目も人間。
でも、モンスター扱い。
殺しても良いし、バラバラにしてもよい。
安心してインモラルな行為に没頭出来るという都合の良い対象である。
いいもの見つけちゃったってことなんだろう。

ジョージ・A・ロメロもまさかこういう扱いをされるとは、映画「ゾンビ」の段階では思いもしなかっただろう。
ヒゲじいが気の毒であるのと同様に、ゾンビもある意味気の毒な存在なのかもしれない。
確か「バイオハザード」のCM撮ってたし、監督は全然気にしてないんだろうけど。


戻る