HEAVY RAIN -心の軋むとき-

やっと出た 2010_03_01

 

Wiiにおいては同一性の高いゲーム作りが既に一般的になっている。
任天堂のみならず、サードパーティーでもそこそこの作品を出せるようになってきた。
しかし、よく考えたらPS3にだって同一性の高いゲームが登場しておかしくないはずである。
傾きセンサーと加速度センサーがついてるんだから。
コントローラーの形状がアレだから、ちょっとやりにくくはあるけども。
そのうち出るだろうと思っていたところ、やっと出たな。
PS3で発売された『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』は置き換えの同一性を高めることでリアリティを、つまりは喜びを大きくすることに成功した作品だった。

物語の説明は別に書くとして、このゲームでは従来であれば選択肢を選んだり、○ボタンを押すだけだった操作系に同一性を持たせていた。
両手で力仕事をするシーンでは2つのボタンを押しっぱなしにさせたり、何かするときはボタンを押すタイミングを同期させたり、何かしらの行為をアナログスティックの動かし方で再現してみたり、はたまたドアを蹴破るときにはコントローラーを振らせてみる。
Wiiと違ってコントローラーの形状に難があるので、ボタンの押させ方にはちょっと工夫があるな。
ワンシーンワンシーン、よく考えてあると思う。

それは実のところ、今までは選択肢で済ませていたことに、余計な動作を加えてやっただけだとも言える。
しかし、登場人物とプレイヤーがシンクロすると物語へののめり込み具合がまったく違っていた。
私はこの物語、あんまり好きじゃないんだけど、自分の指を切断するシーンなんか、相当ためらったもんな。
このゲーム、セーブできないんで取り返しがつかないのだ。
切るべきなんだろうな、と思うんだけど、出来れば回避したい。
指無くなるのイヤだろ、普通。
痛そうだし。
回避できないか、一応調べずにはいられなかったわ。
その上で、いざ切るとなったら、ドックンドックンいってる画面に気持ちが同期してしまって、ボタン押すのに酷く勇気が要った。
間違いなく、同一性の高まりがこのゲームのリアリティを増加させているな。

ただし、ちょっと惜しいところがあって、それはコントローラーを振らせるシーン。
結構いっぱいあるんだけど、プレイヤーに対してゲーム中の動作を要求するのではなく、コントローラーをこう振れ!と直接的に指示してくる。
しかも、やけに判定が厳しいときがあった。
創り手が想定している動作通りの入力をすること自体をゲームとしてしまっている。
感度の良いPS3のコントローラーが悪い方向にゲームを導いてしまったかもしれない。

せっかく同一性の視点を持ち込んだんだから、動作そのものを要求すべきだったな。
ドアを押し破るなら、ドアを押し破るという動作自体を。
もちろんその分、プレイヤーの入力が特定できなくなるから、判定は大雑把なモノにならざるを得ないのだが、判定は適当で構わないはずだ。
プレイヤーがごまかしていたって構わないんだから。
損するのはインキしているプレイヤーだけであって、そのつもりになっているプレイヤーにつまらない思いをさせることはない。
そんなようなことをやっているらしいと推認できればいいんだ。

その辺はWiiで開発している人達ならば、たぶん気づいていると思うのだが。
たまたまいま『Wii Fit Plus』のCMで松嶋菜々子が大ジャンプやってたけど、必ずしもジャンプの恰好しなくても判定はクリア出来るはずだ。
でも、わざわざごまかす奴はいない。
だって、置き換えている行為を楽しむことが目的だからな。
同一性を持ち込むって事はそういうことなんですよ。

PS3のコントローラーから同一性の思想を読み取ることは不可能だから、最初は仕方ないかもしれない。
つくり慣れてくれば、もっといいモノが登場してくるだろうな。
Wiiよりも絵的な表現力は上なワケだから、非常に楽しみではある。



<補足>
指を切るシーンは公開されているトレーラーに入ってるから、別段ネタバレではないだろうと思って書いてます。


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