高校生だった頃、クラスメートとよく議論した。 何を議論したかというと、「タイムマシンは実現可能か」とか「UFOは実在するか」といったような話をである。 私が議論を挑んだわけではなく、クラスのムードメーカー的な存在だったX君がしばしばその手の話をもちかけてきたからである。(X君の名前忘れたから、頭文字も出てこない) 私はその当時から非現実的な話が嫌いだったので、基本的には否定する方向で議論した。 タイムマシンも当然否定しなければならない。 その当時タイムマシンを否定するために考えたのが、調和理論である。(私が勝手に命名しただけ) 簡単に説明すると、要するにタイムマシンが技術的に可能になるとしても、実際にはタイムマシンは生まれない、という話である。 なぜかというと、タイムマシンを作るには動機があるだろうし、タイムマシンが出来ればその動機を解消する為に過去に戻るから動機が失われる。 すると、タイムマシンは生まれないことになる。 そういったことが繰り返されて、最終的に調和した状態が私達の生きているこの世界であって、調和された世界にはタイムマシンは存在しないのだ。 この理論はあくまで当時討論用に考えただけで、今も正しいと思っているわけではない。 理論の穴を指摘されても困るのである。 一体なんの話を書いているのか自分でもわからなくなってきたが、私は『カサブランカに愛を』の話を書くための前振りを今書いている。 『カサブランカに愛を』は殺人事件からスタートするのだが、殺人事件は物語の中核を担っているわけではない。 どちらかというとタイムスリップの話である。 あんまり長い説明は止めておく。 コマンド入力式のゲームってのはストーリーが短いんで、これ以上書くと全てを書いてしまうことになるからね。 調和理論を考えた頃の私は、タイムマシンがあれば、当然その動機となる事態を過去に遡って解決してしまうだろう、と考えた。 しかし、『カサブランカに愛を』に出てくる登場人物はそうではないんだな。 タイムマシンがあるのに、歴史を変えようとはしなかった。 あんまり書くと怒られそうだけども、それは優しさなんだな。 優しさが人を運命のままに生かし、優しさが人を殺す。 そしてタイムマシンの存在する未来が残った。 『カサブランカに愛を』は当時、比較的簡単なアドベンチャーゲームだと言われていた。 やってみると判るのだが、一部のハマリを除くと、ほぼ使える動詞と名詞を総当たりでいけば解けてしまう。(私は解けなかったけどね) 局面局面でイマジネーションを膨らませるような感じはないのだ。 にもかかわらず、このゲームが当時話題になったのは、ストーリーがよかったからだろう。 高校生の頃の私にこのゲームが解けていたら、どう考えただろうな。 想像してはみたものの、そんなことには意味もないか。 「マワリ」って単語を思いつかなかった過去は変えられないんだから。 |