『オレンジボックス』を買ったといっても、元々やりたかったのは『ポータル』だけだった。 海外では、日本のゲームは時代遅れ、と言われているそうだけど、私にはFPSが時代の最先端だとは思えない。 どれもこれもおんなじのマンネリゲーム群に見えるな。 「野球ゲーム」というぐらいの範疇に何百もの作品がひしめいている印象である。 別にやらなきゃならんこともないんじゃないか。 サッカーゲームはやるけど、野球ゲームはやらないって人がいても構わないのと、それは同様である。 メンド臭いからあんまりやりたくないのだが、折角だからと『ハーフライフ2』をやり始めて、すぐに結局トレンドは同じだな、と気づいた。 その点について少し書いてみたい。 『ハーフライフ2』を始めると、最初は攻撃できない。 ただ目的地に向かって逃げていくだけである。 ただし、目的地の場所、あるいは経路がわからない。 一見すると自由に動き回って調べていくように見える。 しかし、実態としては一本道なのである。 行ってはいけない場所に行こうとすると、警察?みたいな連中が殴りつけてくる。 逃げざるを得ない。 こっちへ行こう!と思っても行き止まりばっかりだし、ドアはたいてい開かない。 自由な空間があるようで、実は一方向にしかいけないのである。 要するに限定がかかっている。 警察が殴りつけてくるのは限定に近い誘導と考えられるだろう。 とすると、これは同じだな、日本のゲームと。 自分で何かしているような気にさせながら、実はある一定時間内にある一定の成果を上げさせるという。 主観視点にしているかどうかだけの違いである。 大差ない。 このゲームはPCで2004年に発売されたそうだけど、もうこの時点でこういうゲーム作りが一般的になってたんだな、海外でも。 そういえば、『HALO』とか『Gears of War』みたいな大ヒットしたゲームもしっかり誘導と限定が効いていた。 海外も日本のトレンドと大して変わらないんだ。 『オブリビオン』なんかはネット上の評価は高いけど、実はそんなに爆発的に売れた訳じゃないからな。 結局のところ、現実に生活するよりも楽しいと感じなければ、わざわざお金出してゲームなんかやる必要ない。 現実と同じ負荷を乗りこえて、同じ程度の喜びしか得られないならビデオゲームをやるはずがないのである。 お手軽にもっと大きな喜びが欲しい。 喜びを保証してくれなければゲームなどしたくない!と世界中の人が思っているのである。 ダメチンなのは何も日本人だけじゃない。 もしトレンドが同じなら、最後は心配りがゲームを決めるはずだな。 如何に心地よくプレイヤーに時間を消費していただくか。 心配りこそ日本のゲームの優れているところなんだから、いまの日本の路線はそんなに間違っていないのではないか。 今のまま突き進んでいけばいいんじゃないかな、きっと。 そのうちまた日本のゲームが見直されるときがくるような気がしてきた。 ゲームのあるべき姿としては喜ばしくないかもしれないが。 |