ハーフライフ2

トレンドは同じ 2009_02_28

 

『オレンジボックス』を買ったといっても、元々やりたかったのは『ポータル』だけだった。
海外では、日本のゲームは時代遅れ、と言われているそうだけど、私にはFPSが時代の最先端だとは思えない。
どれもこれもおんなじのマンネリゲーム群に見えるな。
「野球ゲーム」というぐらいの範疇に何百もの作品がひしめいている印象である。
別にやらなきゃならんこともないんじゃないか。
サッカーゲームはやるけど、野球ゲームはやらないって人がいても構わないのと、それは同様である。

メンド臭いからあんまりやりたくないのだが、折角だからと『ハーフライフ2』をやり始めて、すぐに結局トレンドは同じだな、と気づいた。
その点について少し書いてみたい。

『ハーフライフ2』を始めると、最初は攻撃できない。
ただ目的地に向かって逃げていくだけである。
ただし、目的地の場所、あるいは経路がわからない。
一見すると自由に動き回って調べていくように見える。

しかし、実態としては一本道なのである。
行ってはいけない場所に行こうとすると、警察?みたいな連中が殴りつけてくる。
逃げざるを得ない。
こっちへ行こう!と思っても行き止まりばっかりだし、ドアはたいてい開かない。
自由な空間があるようで、実は一方向にしかいけないのである。
要するに限定がかかっている。
警察が殴りつけてくるのは限定に近い誘導と考えられるだろう。
とすると、これは同じだな、日本のゲームと。
自分で何かしているような気にさせながら、実はある一定時間内にある一定の成果を上げさせるという。
主観視点にしているかどうかだけの違いである。
大差ない。

このゲームはPCで2004年に発売されたそうだけど、もうこの時点でこういうゲーム作りが一般的になってたんだな、海外でも。
そういえば、『HALO』とか『Gears of War』みたいな大ヒットしたゲームもしっかり誘導と限定が効いていた。
海外も日本のトレンドと大して変わらないんだ。
『オブリビオン』なんかはネット上の評価は高いけど、実はそんなに爆発的に売れた訳じゃないからな。
結局のところ、現実に生活するよりも楽しいと感じなければ、わざわざお金出してゲームなんかやる必要ない。
現実と同じ負荷を乗りこえて、同じ程度の喜びしか得られないならビデオゲームをやるはずがないのである。
お手軽にもっと大きな喜びが欲しい。
喜びを保証してくれなければゲームなどしたくない!と世界中の人が思っているのである。
ダメチンなのは何も日本人だけじゃない。

もしトレンドが同じなら、最後は心配りがゲームを決めるはずだな。
如何に心地よくプレイヤーに時間を消費していただくか。
心配りこそ日本のゲームの優れているところなんだから、いまの日本の路線はそんなに間違っていないのではないか。
今のまま突き進んでいけばいいんじゃないかな、きっと。
そのうちまた日本のゲームが見直されるときがくるような気がしてきた。
ゲームのあるべき姿としては喜ばしくないかもしれないが。


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