DS 天元突破グレンラガン

もうちょっとなんとかならんもんか 2009_11_27

 

深夜にテレビのチャンネルをちゃかちゃか変えていたところ、巨乳にビキニの女の子が踊っているアニメDVDのCMに出くわした。
私が『天元突破グレンラガン』を観ようと思ったのは、そのCMのせいである。
もっとギャルギャルしいのかと期待していたんだが、実際には全然違う内容だった。
2年も前に放映されたアニメで、「エヴァンゲリオン」で有名なガイナックスが自主制作したということで当時はそれなりに話題になっていたようだ。
私は全く知らなかったけど。

人間、いや二重らせん構造を持つ遺伝子を備えた生物というのは、おしなべて愚かなものである。
とりあえずエサが豊富にあれば際限なく増えてしまって、後で絶滅の危機に瀕する、なんてことが食物連鎖の世界では割と普通に起きているのだ。
いつか破滅すると分かっているのに際限なく消費を繰り返す人類だけが愚かなわけではない。
考えようによっては地球上の生物は総て破滅へと向かっているのだ、と言えなくもないだろう。

ところが、この『天元突破グレンラガン』では二重らせん構造とドリルを結合することにより、生命は愚かだけれども、その前進しようとするエネルギーはどんな壁をもいずれは突破していくんだ、というポジティブな話に仕上げている。
二重らせん構造とドリルとは私が知る限りなんの関係もない。
単に形状のイメージから連結しちゃうんだな。
素晴らしいイマジネーションだよ。
話はむちゃくちゃだけど、発想は素晴らしいと思った。
私は割と好きだな、この話。

ただ、エンディングが寂しかった。
えーっ!?とか思って、ちょっと何とかして欲しかったのである。
私がDSの『天元突破グレンラガン』をプレイし始めたのは、「何とかして欲しい」という思いを叶えるためであった。

もちろんそれは私が勝手に期待しただけで、ゲームがそのように創られているわけではない。
ストーリーをダイジェストで進めながら、どうでも良いようなゲームをやるだけのことである。
キャラもののゲームがそんなに面白いはずはない。
それは分かっている。
だから、エンディングだけ何とかしていただけないか、と思って最後までやってみたのだが、結局TV版と同じエンディングだった。
一応3種類エンディングが確認されているようだが、それでも検索したところによると私が期待しているようなエンディングではないようである。
そんなエンディングを観るために、もう一回最初からやり直す気にはちょっとならないな。

なんなんだろ、この脱力感。
ゲームをやるって事は、プレイヤーは自分の寄与分が欲しいわけでしょ。
私がこうしたから○○ちゃんが助かった、ということにしたいのである。
寂しいエンディングの、それも原作を見ていなければ分かりっこないほど端折ったエンディングを、時間かけてもう一回観たところでなんの意味があるんだろうか。
すごく時間を無駄にした感じ。


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