『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』という学校を舞台にしたアドベンチャーゲームが発売されたそうである。 噂にきくところによると、とても面白いらしいじゃないか。 これは是非やってみたい!・・・のだが、残念なことに、これはPS2用なのだ。 当分プレイすることは出来ないと思われる。 『街』を創ったチュンソフトが制作・販売しているとなれば、本当ならば今すぐにでも買ってあげたいところなのだが。 ところで、私は一つ主張しておきたいのである。 学校生活をゲームにしたら面白いんじゃないか?ということは私だって考えたし、それだけでなく、実際に作り始めたこともあるのだ、と。 ただし、この主張をするためには、私の忌まわしき中学生時代を書かなければならない。 あの地獄の日々を。 私の通っていた中学校には、「班」制度があった。 6人で一つの班をつくるのである。 この6人は連帯責任を負わされ、誰かが悪いことをすると全員が怒られる。 江戸時代の五人組制度みたいなものだと思えばいい。 ところが、この「班」制度には学生を統制するための更なる仕組みがあった。 班長が存在するのである。 6人の中に、必ず一人まじめな学生を入れておき、その学生を班長にする。 6人全員に等しく責任を負わせるとなると、なにぶん子供なのでたがが緩んでしまう。 そこで、まじめな学生に大きな責任を負わせるのである。 もちろん、誰だって班長はやりたくない。 一応、班長は立候補制だから、ほかっておいたら誰も立候補はしないはずである。 そこで、まじめそうな学生が班長に立候補するように、担任教師は事前に手を打っておく。 個別に面談するなどして。 つまり、実際には強制的なのだ。 私もやらされたものである。 この班制度が優れた学生統制力を発揮するのは、学生が学生に対して責任を持つことに理由がある。 だいたい不良っぽい学生というのは先生に怒られたって平気なものだが、怒られるのは自分ではない。 怒られるのは班長なのである。 不良っぽい学生がいる班には、その不良と仲の良いまじめな学生を班長にしておく事になっている。 そうすると、不良学生は自分が悪いことをすると仲の良い友人が怒られることになるから、悪さすることが出来なくなるのだ。 あれは凄いシステムだったな。 しかも、このシステムを機能させるもう一つの仕組みがあった。 「ST」がそれである。 「ST」というのは、帰る前の連絡事項伝達時間のことなのだが、何の頭文字なのか私は知らない。 知りたくもなかった。 この「ST」は懺悔タイムとでも言うべきものだったのである。 なぜならば、班ごとに今日の反省を述べなければならないのだ、もちろん班長が。 もし班員が何か悪いことをしたとすれば、自分たちで告白しなければならない。 隠しておいて、他の班にチクられたら大変なことになる! 「なぜ自分たちの問題点を自分たちで指摘できないのか?」などといって、話し合いが始まるのである。 班長は当然吊し上げられる。 この話し合いは、先生が「もうそれぐらいで良いだろう」と言うまで終われない。 学生達は洗脳されているので、自発的に話し合いを続けてしまうのだ。 誰かの親が「うちの子供帰ってこないんですけど・・」と電話をかけてくるまで続く。 夜の7時過ぎまで帰れないこともしばしばあった。 それを避けるためには、どんな些細な問題も見逃さないように、班長は班員を監視しなければならないのである。 この上更に班長には「班ノート」を書くという義務まであった。 今日の班の出来事をノートに書いて、翌日担任に提出しなければならないのである。 これが大変だった。 中学生がしでかす事なんてのは、だいたい悪いことばっかり。 しかし、正直に悪いことばっかり書くとえらい目に遭ってしまう。 「お前はなぜ班員の悪いところしか見ていないんだ!!」などといって、先生にぶん殴られるのだ。 良いところを見つけてやれっていわれても、あいつら良い事なんて何一つしやしないんだよ、と私は涙したものである。 あれを書くのは辛かったな。 何も書けなくて悩んでいるうちに空が明るくなったことは一度や二度ではなかった。 この中学校は教育者の間ではかなり評判だったようで、他県から見学に来る教師が後を絶たなかった。 少なくともうわべは素晴らしい中学校に見えるのだ。 どこの教師も「ここと比べてうちの学生達ときたら・・・」と嘆息して帰っていったそうである。 おそらく私たちの苦しみに彼らは気がついていなかっただろう。 そういった事情で、私は毎日班員を監視しなければならなかった。 悪い点があれば自分で指摘しなければならないし、無理矢理にでも良い点を見つけなければならなかったのである。 そんな毎日を送っているうち、私は思ったのだ。 「これはゲームになる!」 例えば、掃除しないで逃げようとする班員にどう対処したらいいのか?、ケンカし始めた班員にどう対処したらいいのか? 選択肢型のアドベンチャーゲームなら、私のプログラミングテクニックでも出来るんじゃないか。 私は『班長への道』と題したアドベンチャーゲームを夏休みの課題として制作することにしたのである。 中学生で既に個人主義者を気取っていた私は、班制度を深く憎んでいた。 にもかかわらず、『班長への道』という班長を肯定的に捉えたゲームをつくろうと思ったのは、やはり知らず知らずのうちに私も洗脳されていたのかもしれない。 もっとも、このゲーム制作はすぐに頓挫した。 私には絵を描くことが出来なかったのである。 T&Eが開発した『グラフィックジェネレーター』というソフトを買ってきてはみたのだが、ツールがあっても本質的に絵が描けないということに変わりはなかった。 おまけにメモリが32Kbyteしかないので、あっという間にメモリが足りなくなる。 『グラフィックジェネレーター』はお絵かきの間違えた手順までそのままプログラムに生成してしまうため、考えなしに描いているとデータが大きくなってしまうのだ。 確か2シーンぐらい試しにつくっただけで断念したな。 実際のゲーム制作においては、リソースをはじめから考慮して、ゲームの内容を決めなければならないんだろう。 まあ、断念した最大の理由は私が極端な飽き性だからなのだが。 実際やってみて思ったのだが、自分でゲームを創るのは大変だった。 おまけに面白くない。 どう創っても面白くなりそうになかった。 やっぱり市販されてるゲームは面白いよなあ、と思ったものである。 あれ以来、自分でゲームを創ろうなんて気持ちは起きなくなった。 今となっては、あの地獄の日々すらもゲームにしたら面白いんじゃないかと思った自分がいたということを書き残しておくばかりである。 |