カサブランカに愛を_1

遠ざかるゲーム 2006_11_08

 

『カサブランカに愛を』というゲームがある。
20年も前にシンキングラビットから発売されたPC8801用のアドベンチャーゲームだ。
山下章という人物がやたらと褒めていたので、私も当時プレイしたものである。

少し説明しておくと、山下章氏は当時『マイコンBASICマガジン』という雑誌でアドベンチャーゲームの質問コーナーを持っていた。
どんなアドベンチャーゲームでも解ける、と豪語するこの人物は私達にとってアイドル的存在だったな。
昔のコマンド入力式アドベンチャーゲームは解けなくても当たり前だったし、ネットもない時代なので、大変有り難かった。
私も質問を送って、採用されたことがあったな、そういえば。
質問の内容は忘れてしまったが、そりゃもう大層嬉しかったものである。

その山下氏がやたらと褒めていたので、当時私もプレイしたのだが、結局解けなかった。
比較的簡単だと言われていても、コマンド入力式は解けないときがあるんだな。
創り手と思いつく単語がどうしても一致しない時があるのである。

しかし、今はネットがある。
最悪今なら攻略HPを見ることも出来るし、やってみようかと思った。
『シルフィード』と同じ「Project EGG」で、今もプレイ可能なのである。(「Project EGG」はエミュレーター開発組織の名前であって、エミュレーターの名前ではないかもしれない)

内容の話はまた次回にするとして、今更一つ気付いたのは、創り手とゲーム中の語り部が未分離であること。
それどころか、登場人物が話す言葉と語り部の言葉すら、明確には分けてない。
「×× シラベル」って入力すると、「いろいろ調べるのは良いことです、うん」ってコメントが返ってくる。
まるで、創り手と一対一で知恵比べしているような感じになるんだ。
「俺の思考がわかるかい?」ってね。

昔はこういう事が許されたんだな、と懐かしく思い出す。
まだゲームの開発が極めて小さく個人的であった時代の末期に列なる作品なのである、これは。(この時点でも一人では作れなくなっているようだが)
今ではこういう事はあり得ないだろうな。
どうしても作品として世界を作り込もうとするから。
今時のノベルゲーなんかでは、語り部はあくまでも語り部であって、=作者ではない。
ましてや、ゲームのディレクションをしている人間であるはずもない。

そして、これがかつて私が憧れていたゲームの世界だな、という感慨もあった。
創り手も遊び手に挑むことでゲームをしていた世界だ。
自分も創る側に回ってみたいと思えたし、出来るような気がした。
今のゲームはすごいけど、とても自分に創れそうには思えないからね。
ゲームは随分と進化したけれども、随分と遠くに行ってしまったと、懐かしいゲームは感じさせるのである。


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