今さら人には聞けない大人の常識力トレーニングDS

喜びへの価値付け 2006_11_22

 

さすがにこんなもんばっかり売れてたらアカンわい、と私も思っている、『常識力トレーニングDS』。
まあ、買ってる私が言うのもなんなのだが。
この手のものがランキングの上位に居座っているようなゲーム業界ってのは、私が求めているものではないな。
この手のもの「も」売れる、というのが理想的である。

しかし、この『常識力トレーニングDS』をゲームとして考えると、非常に斬新であることが判る。
単なる知育ものであるだけでなく、新しいアプローチでありつつ、ちゃんと理にかなっていることに私は気が付いた。
少しだけ説明してみたい。

ゲームというのは負荷である。
これは私のいつも主張していることだが、クイズをゲームとして捉えると、解けなさそうな問題、あるいは知らなさそうな問題を出題することが真っ当だろう。
しかし、『常識力トレーニングDS』はそうではない。
当然知っているはずの問題を出すのである。
常識なんだから。
これは個々の問題の負荷が小さいことを意味している。
しかも、ゲーム特有の置き換えによる喜びの増幅効果もない。
つまり、本来ならばこのゲームから得られる喜びは小さいはずなのである。

ところが、しかし、but,although。
実際には喜びが大きいのである。
通常の感覚では、「なんだ、こんな問題知っているよ。簡単すぎ。つまんない。」となるべきところが、「ああ、知っててよかった。」となるんだ。
「常識」を持ち出すことによって、喜びに価値付けをしてやると、小さな喜びが大きくなる。
ここにいちはやく気が付いたところは、さすがは任天堂。
気が付いていればこそ、WiFiで全国平均と比較させることを思いついたんだろう。
これぐらいは知ってて当然のラインを意識させて、それを越えることに意味を持たせることで、更に価値が生まれるよな。

もちろん、これはいつやってもイイというわけではなくて、プロモーションや流行に左右されるものである。
私達ゲーマーは、イイものはいつやっても面白い!なんて事を言いたがるものだけど、こういうアプローチもあり得るんだということは認めざるを得ないだろう。
気分的にはイヤなんだけど。


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