さすがにこんなもんばっかり売れてたらアカンわい、と私も思っている、『常識力トレーニングDS』。 まあ、買ってる私が言うのもなんなのだが。 この手のものがランキングの上位に居座っているようなゲーム業界ってのは、私が求めているものではないな。 この手のもの「も」売れる、というのが理想的である。 しかし、この『常識力トレーニングDS』をゲームとして考えると、非常に斬新であることが判る。 単なる知育ものであるだけでなく、新しいアプローチでありつつ、ちゃんと理にかなっていることに私は気が付いた。 少しだけ説明してみたい。 ゲームというのは負荷である。 これは私のいつも主張していることだが、クイズをゲームとして捉えると、解けなさそうな問題、あるいは知らなさそうな問題を出題することが真っ当だろう。 しかし、『常識力トレーニングDS』はそうではない。 当然知っているはずの問題を出すのである。 常識なんだから。 これは個々の問題の負荷が小さいことを意味している。 しかも、ゲーム特有の置き換えによる喜びの増幅効果もない。 つまり、本来ならばこのゲームから得られる喜びは小さいはずなのである。 ところが、しかし、but,although。 実際には喜びが大きいのである。 通常の感覚では、「なんだ、こんな問題知っているよ。簡単すぎ。つまんない。」となるべきところが、「ああ、知っててよかった。」となるんだ。 「常識」を持ち出すことによって、喜びに価値付けをしてやると、小さな喜びが大きくなる。 ここにいちはやく気が付いたところは、さすがは任天堂。 気が付いていればこそ、WiFiで全国平均と比較させることを思いついたんだろう。 これぐらいは知ってて当然のラインを意識させて、それを越えることに意味を持たせることで、更に価値が生まれるよな。 もちろん、これはいつやってもイイというわけではなくて、プロモーションや流行に左右されるものである。 私達ゲーマーは、イイものはいつやっても面白い!なんて事を言いたがるものだけど、こういうアプローチもあり得るんだということは認めざるを得ないだろう。 気分的にはイヤなんだけど。 |