クイズ ああっ女神さまっ 〜戦う翼とともに〜

義理 2000_12_03

 

『クイズ ああっ女神さまっ 〜戦う翼とともに〜』を買ってきた。
プレイしてみて、これはコンシューマーの世界では居所のないゲームだな、と思った。
もともとアーケード用に作られたものだけに、原作の世界に頼りっぱなしで何一つ描くことに成功してない。
じっくり遊ぶようには創られていないのである。

実を言えば、そんなことは買う前からわかっていた。
キャラゲーとしては今ひとつらしい、という話は聞いていたのだ。
しかし、どうしても買わなければいけないような気がしていた。
私には義理があるのだ。

もう6年も前のことになるのだが、私は人生のどん底にあった。
他のところで書いたことがあるはずだが、それはとても辛い日々だったのだ。

そんな日々の中で出会ったのが、「ああっ女神さまっ」だったのである。
私が心を動かされたのは、なにより無私なベルダンディの姿だった。
現在でこそすっかり人間のような思考をするようになってしまったが、連載当初はそうではなかった。(私は単行本で読み始めた)
私はそこに自分が目指していたものを見つけたような気がして、大変感動したし、救われたような気がした。
高々漫画のこととはいえ、あのときの私には何ものにも代え難い励ましだったのである。

以来、なんか「ああっ女神さまっ」には義理があるような気がして、ことあるごとに気にかけるようになった。
一応アニメも見たし、『サクラ大戦』に一定の評価をおいているのも無関係ではない。(キャラデザが同じだから)
そして今回購入したのもやはり義理だった。
まあ、裏目に出たと言うことかも知れない。

しかし、義理というやつはまんざら捨てたものじゃない。
なにかしらの思い入れは、ゲームをしばしば面白くする。
だからこそ、「なんじゃこれは?」と思いながらも、なんとかプレイを進めることが出来た。

これからもきっと私は「ああっ女神さまっ」に義理を感じていくことになるだろうし、それはそれで楽しみなことなのだ。


<余談 2000_12_04>

この話は、名古屋まで結婚式に行かなければならないということが嫌で嫌で仕方なくて、ホント義理って嫌だよなあ、と思ったのが書くきっかけだった。
私は大学時代の友人以外は全て切り捨てて生きている。
どういう訳か知らないが、小さい頃から私には、クラスが変わると前のクラスの友達を切り捨てる習慣があったのだ。

こんなに義理って嫌なのに、どうして私はこいつらを切り捨てることが出来ないのだろうって考えていた。
で、結論としては、やっぱり自分がその義理を求めているからだろう、ということになった。
義理があればこそ、こいつらとつながっていられるのだ。


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