私は高3の時、倫理・政経を選択していた。 理系が2個目の社会科を倫理・政経にするのは、ごく普通のことだったように記憶している。 当時のセンター試験では2科目受けて出来の良い方を選択することが出来たが、私はわりと地理に自信があったので、正直どうでもいい授業だった。 倫理・政経の方が簡単だ、という学生もいたけど、概ね選択するヤツはやる気のないのが多かったな、進学校の割には。 やる気のないヤツが多いせいか、担当の教師は毎回プリントを配っていた。 重要な単語を穴埋めするタイプのプリントである。 プリントを読んでいって空欄に到達すると、声を一段大きくして「ゲ・リ・マ・ン・ダー」などといって書き込みを促した。 その言い方が面白かったので、その教師についたあだ名が「ゲリマンダー」だったな、そういえば。(ゲリマンダー:選挙区の区割りを恣意的に決めること) いま思えば、おそらく寝たり内職する学生に何とか授業を受けさせようという工夫だったんだろう。 手を動かせば、なんか授業受けた気にはなるしな。 ところで、『二ノ国』には「マジックマスター」という本がついてくる。 妙に立派な装丁の分厚い本で、こんな物のために値段を高くしなくてもいいのに、と思わないでもない。 おそらく不正コピー対策や中古対策なんだろう。 ゲームをやり始めると、最初に「本に名前を書け」と指示されるのだが、ちょっとイヤらしい感じはした。 普通はゲーム機をゲームの中に登場させるもんだけど、ゲームの中の物を現実にもってくるという発想は、同一性の観点からは大いに評価されるべきだとは思うが。 その一方で、ちょっと違う感触もあった。 なんというか、ゲームがプリントの穴埋めしているような気分だったのである。 私はプレイしながらゲリマンダーのことを思い出していた。 ゲームも勉強も同じモノだから不思議ではないが。 呪文はリアルタイムで描くわけじゃないから、それ自体はゲームじゃないんだよね。 書き写す場所を探すのがゲームなのである。 謎解きも、本のどこ見たらいいのか、を探すことがメインだ。 ある意味、能力に依存せず確実に成果を残させるための手段の一つなんじゃないか。 売りたい層はそんなにやる気のある連中じゃないだろうからね。 ジブリが売りになっているぐらいだから、低年齢層やその親がターゲットなんだし。 そういう意味では、なかなか上手いことやったんじゃないか。 本をつけることで話題性を獲得し、中古対策もやって、更にユーザー層にあったゲームも提供することができたわけだ。 おまけに単価も上げられたし。 いいことずくめじゃないか。 大量に仕入れて、早い段階で投げ売りしなければならなかった小売りの皆さんには同情するけど。 |