永井豪の自伝的な漫画『激マン!』はなかなか興味深い。 自伝的といっても6巻までの大半がデビルマンに関する描写である。 ギャグ漫画とかお色気漫画を描いている自分より、デビルマン描いている自分の方が誇らしかったんだね、きっと。 あまりお金にならないデビルマンのために他の連載をどんどん切っていく様は、尋常の感覚ではちょっと理解できない。 大抵の漫画家が歳をとってから辿り着く境地に、かなり若いうちに到達していたような印象を受けた。 デビューからの短期間に今では考えられないほどたくさん描いたから、その分速く彼の時間は流れていったのかもしれないな。 それはそうと、『激マン!』読んでて、ニュートラルって何だろう?って考えてたんだけど、それに相当するものがよく分からない。 デビルマンたちがニュートラルなのか、とも思うが、永井豪自身にそういう明確な意図があるわけじゃないみたいだな。 たぶんニュートラルに相当する概念はないんじゃないか。 ニュートラルが存在すると、物語は急につまらなくなるからね。 いま何の話を書いているかというと、『真・女神転生W』の話を実は書いているのである。 久々にメガテンやって、なかなか面白かったし、かなり時間もつぶせたんだけど、どうも結論が気に入らないんだ。 というのは、3つあるエンディングのうち、ニュートラルが一番真っ当な感じなのである。 コース的に一番長くて、折衷的なエンディング。 パラメーターの調整も一番難しい。 ニュートラルが真エンドみたいな印象を受けるのである。 でもそれって面白くないんじゃないか。 神が神に似せて人を創り、天使が堕天したのが悪魔なら、天使も人間も悪魔もみんな同じ様なもんじゃん。 ただ主義主張が違うだけ。 結局折り合って上手く生きていくしかないって話になると、現実世界と同じになっちゃうよね。 それは極めてつまらない結論だと私は思うのである。 だって当たり前だろ。 明示的にニュートラルが真エンドだと決められているわけではないんだけど、ロウやカオスを正当化するには、もっと激しい何かが必要な気がする。 ついに真理に到達した!という感動が伝わってこないと、ニュートラル以外のエンディングで満足することは出来ないんじゃないかな。 ロウでもカオスでも私は納得できなかった。 |