カルチョビット_4

持ってて良かった、GBm 2006_06_23

 

やっとチャレンジカップで優勝できた、『カルチョビット』。
これで終われる。
長かったな、この一ヶ月。
もう、ずっと『カルチョビット』の毎日だった。
常に何かと『カルチョビット』。

昼休みに昼寝しながら『カルチョビット』。
ご飯食べながら『カルチョビット』。
洗い物しながら『カルチョビット』。
洗濯物干しながら『カルチョビット』。
『スーパーマリオブラザーズ』をやりながら『カルチョビット』。
野球観ながら『カルチョビット』。
ワールドカップ観ながら『カルチョビット』。
朝までブラジル戦観てて、徹夜ハイ状態なのをいいことに書いちゃうと、 ウンコしながら『カルチョビット』。
ある種の行為を行いながら『カルチョビット』。
私はありとあらゆるシーンで『カルチョビット』と共にあった。
これは凄いことだな。

やってて一番印象に残ったのは、ゲームボーイミクロ(GBm)との親和性だった。
片手で画面が見えて、操作はしない、ってのがミソだったんじゃないか。
私はいつもGBmをポケットに入れておいて、ときどき取り出してはチラっと見ていた。
しかも画面の長辺を縦向きに持って、手の方を横にして。

よく画像ビューワー付きの携帯デバイスで言われることだけど、画像がビューワー付いていてもあんまり使わない。
だって、画面見ちゃうと他のこと出来ないから。
聴くだけならランニングだろうが、仕事だろうが、並列して出来なくもないけど、画面は人を専有してしまう。
だから画面をずっと見続けるようなモノは、単位時間当たりの喜び量をそれ単体で保証しなければならない。
だったら、携帯デバイスで観るより、テレビやパソコンで観るよ、って話になっちゃうんだ。
逆に言えば、それ単体で喜び量を保証できないモノは人を専有してはいけない。
『カルチョビット』はそこを意識して創られたから凄いんじゃないか。

しかし、である。
これが旧型のGBAやGBASPだったら果たしてここまで填ったかな、と思うのである。
旧型のGBAじゃポケットに入らないし、入ったとしてもポケットから取り出すところ見られたくない。
しかも、片手で持ちにくいし。
GBASPだって、蓋を開けるとき両手使っちゃったら、ダメだったと思うな。
やっぱりGBmでなきゃ。

このゲーム、使ってる本体によって随分見え方が違ったんじゃないか。
GBAとGBASPとGBmとNDS、それに今はDSLもあるか。
きっとGBmを使って遊んだ人が一番面白かったんじゃないか。
GBm買ってホントによかったと思えるゲームだったな、『カルチョビット』は。

実はちょっと後悔してたんだけどね、GBm買ったの。
プレイやん目当てで買ったんだけど、あれ、出っ張ってる上に、イヤホンが長辺側に付いてるから、見た目よりポケットに入れにくいんだよ。
滅多に画像なんて見ないし。
『カルチョビット』を得て、初めてGBmが活きた。

NDSの上画面のみと互換性のある、つまりNDSでも同じソフトが動く、一画面の携帯ゲームデバイスなんてのも使い道があるかもしれない。
そんな可能性を感じさせてくれるゲームだった、『カルチョビット』は。
素晴らしかったな。



<後日談 2006_06_25>

やめるやめると言いながら、結局さらにもう2年やってしまった。
やってみてわかったのだが、毎年最後のキングカップが終わるとエンディングテロップが流れてくる。
どうやら、ここで終わってくれていいよ、っていうメッセージらしい。
まだ続けさせるつもりなら、一回しかやらないだろう。

このあっさり感から推測するに、もしかするとこれは習作なのかもしれない。
とりあえず、いったん作品にまとめてみた、ということなんじゃないか。
いや、全くの推測だけど。


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