『黄金の太陽〜失われし時代〜』を終えてみると、大変なことに気が付く。 GBAは極めて重要なポジションを占めていた。 GBAというのは、携帯ゲーム機というだけでなく、ゲームを何の上で走らせるのかということを考えるときの選択肢の一つなのである。 私は『黄金の太陽〜失われし時代〜』をプレイしながら、「携帯ゲーム機用としては、ちょっとボリュームがあり過ぎるな」と思っていた。 実際このゲームをクリアするためには、『FF]』と同じぐらいの時間がかかるのである。 また、一つのダンジョンの中に、同じ謎解きを連続で配置するケースが多い。 これは「ボリュームを稼ごう」という意識の表れだろう。 どうも通常のRPGと同じぐらいの満足感を持ってもらうべく設計されたようだ。 私はホントにGBAの小さくて見づらい画面が嫌いで、勘弁してくれよ、と思いながらのプレイだった。 頼むからテレビでプレイさせて欲しい。 せめて液晶にはバックライトを! そんなことは高橋兄弟に言っても仕方のないことなのだが。 それで私は、「ここまで創るんだったら、なんでGCなりPS2なり(DCなり)で創らなかったの?」という疑問を持ったのである。 この企画をGC用に回すことだって出来たんじゃないのか? なぜなのか?(元々GBAでRPGをという要請があったからだ、と言ってしまえばそれまでなのだが) 考えてみると、結局つくりたくなかったんだろうなあ、と思うのである。 『黄金の太陽〜失われし時代〜』というゲームの面白さは、ジンを使った戦闘システムとフィールドの謎解きなんだ、とまず決め込んでみる。 そうすると、その面白さはGCで創ったところで変化はないだろう、と容易に想像が付く。 じゃあ、GCで創ったとき、何が変わるのか? おそらく見栄えが変わるだろう。 キャラクターは全部3Dモデリングしなければならないし、背景も当然3Dである。 それもかなり美しく仕上げてこないと、高い評価は得られない。 だったら、そんな無駄な事したくない!っと考えたのではないか。 こう考えていくと、GBAというのは、ゲームの世界においてとても重要な位置を占めていることがわかる。 現行のマシンはGBAを除いて全て3Dが主流である。 ゲーム開発の中でもデザインにかかる負担が極めて大きい。 それを避けようとすると、GBAしかない!ということになるのだ。 おまけにユーザーは子供とマニアなので、場合によっては負荷を大きめにかけてもいい。(つくり手からするとありがたいかも) かつて『逆転裁判』をプレイし終えたとき、GBAというのはアイディアを試す実験場としての役割を持つだろうなあと予感した。 しかし、実験場どころか、PS2やGCにも比肩する立派なプラットフォームとして、これから益々盛んになっていく事は想像に難くないのである。 これは大変困ったことだ。 これからもGBAとつきあって行かねばならない。 任天堂には一刻も早く、テレビモニタでGBAがプレイできるようにして頂きたいものである。 |