俳句はまごう事なきゲームである。 五七五で構成し、必ず季語を入れなければならない、とルールを決めることは、創作にゲームを加える事を意味している。 詩の創作自体もゲームだから、ゲームにゲームを重ねているといってもいい。 一方で詩の内容を重視する立場からは、別に制限なんか入れなくてもいいじゃないか、字余りだって別に構わないでしょ、もっと極端に言えば、現代詩でもいいじゃないか、との主張もあり得るだろう。 しかし、ゲーマーの観点からすると、より難しいことにチャレンジする人に対してリスペクトを払いたいところである。 同じ内容であれば、やはりより厳しい条件をクリアした方が尊敬に値するのではないか。 『逆転裁判5』をプレイしていると、やっぱりまたか、と思うことはある。 「逆転検事」シリーズの時も書いたと思うけど、展開が狡いんだよな。 後から後から証拠や証言が出てくるやり方。 いかにもプレイタイムを稼いでますと言わんばかりの無駄な議論が続いていくことになる。 「検事」の場合は、現場で捜査と弁論が出来る利点があるから、まあそういうもんなんだと思えなくもなかったが、「検事」のやり方を逆裁の方まで持ち込んで来やがった。 開発スタッフが「検事」と同じだから、こうなるべくしてこうなったのかもしれないが。 証拠を調べる前に裁判始めて、すったもんだの挙げ句、翌日に持ち越す展開がずっと続く。 そらぁお前さんよ、証拠が揃ってなければ、議論は二転三転するわさ。 今作はなかなか舞台設定が奇抜で面白いし、お話自体は良く出来てると思うのだが、どうにもこうにも狡いという印象はぬぐえない。 こういう作り方でイイなら、たぶん創る方は簡単じゃないかと私は想像するんだ。 プレイヤーに情報を与えないんだから、簡単に議論はひっくり返せるじゃん。 それにさ、判決を先延ばしにしてもイイなら、そもそもすぐに裁判始める必要ないでしょ。 どうなってんだ? この作り方では私は創り手を尊敬できないな。 創り手にも創り手の矜恃みたいなものがあっていいじゃないかと私は思うのである。 せめて物的証拠だけは全部出す、と決めごとを作るとかね。 だって、創り手だってゲーマーじゃないか。 もっと難しい組み立てにチャレンジしようという気持ちになぜならないんだ? まあ、給料もらって仕事でやってる連中に、それを期待するのは酷な話なのかもしれんが・・・。 |