ローグギャラクシー_2

餅は餅屋に 2006_05_22

 

ゲームデザイナーという職種がある。
いや、「ある」と思っているのは私たち素人だけで、本当はそんな職種無いんですよ、なんて話も耳にするけど。
ゲームデザイナーってのは確かに曖昧な言葉で、ゲームのシステムをデザインする人だろう、という程度の漠然としたイメージしか出てこない。
小さな開発現場だったらディレクター=ゲームデザイナーで通用するかもしれないが、大きな開発現場だと一致しないかもしれないな。
なんでゲームデザイナーの話を書いているのかというと、『ローグギャラクシー』の話を書きたいからである。

断っておくけど、私は『ローグギャラクシー』を割と楽しんでいる。
武器合成とか大好きなんだ、私。
レベルアップしていくのスゲー楽しい。

ただこのゲーム、シナリオは思わず笑ってしまうような内容である。
一体何歳のプレイヤーを想定して書いたのか。
あまりにもバカバカしい。
『ダーククロニクル』で懲りもせず、よくこんなモノを世に出してきたな、と驚いた。

一方で、ちょっと待てよ、とも思うのである。
今までのRPGだって、大体こんなもんじゃなかったっけ?って。
『ローグギャラクシー』だけが酷いわけじゃなくて、みんな酷かったのに、『ローグギャラクシー』だけが特に酷く感じられるんじゃないだろうか。
もしそうならば、当然それには理由があるはずである。

その理由はおそらく、描き過ぎなんだと思う。
創り手が描きすぎるから、プレイヤーの寄与分が減ってしまうのだ。
しばしば脳内補完って言葉が使われるけど、プレイヤー側でイメージをふくらませているから、今時のRPGみたいな一本道ストーリーにでも幾らかはプレイヤーの寄与分がある。
ところが、細部まで描いていって、プレイヤーの寄与分を減らしていくと、プレイヤーはもはやプレイヤーではなく批評家になってしまうんじゃないか。
面白くないのは自分の責任じゃないからね。

しかし、である。
観る側の寄与分がゼロとまではいわないけど、寄与分が極めて小さい映画でだって私たちは感動できるんだから、描いていけないわけではない。
要するに越えるべきハードルが高くなるだけである。
私たちが普段映画を見て、どのように批評しているかを考えれば、そのハードルがえらく高いことがわかるはずだ。
ここで冒頭のゲームデザイナーが登場する。

もうゲームデザイナーがシナリオまで担当する時代ではなくなったのかな、と私は感じていたのである。
どうもこのシナリオを書いたのはディレクター自身らしいのだが、素人が書くにも限界があるだろう。(この人にどの程度の才能があるのか、私は知らないけど)
ドット絵で二頭身キャラが演技してた時代ならいざ知らず、このムービー全盛の時代には無理なんじゃないか。
餅は餅屋に、シナリオはプロのシナリオ書きに任せた方がイイ。
まあ、RPGのシナリオ書きなんてプロが存在するのかどうか知らないけど。

もしどうしても自分で描きたいなら、プレイヤーの寄与分を残す形でゲームは創られるべきなんじゃないか。
ほんの少し前までは、そういう創り手の表現スペースとしてGBAが残されていた。
これからはNDSがその役割を担うだろう。
もっとも、携帯ゲーム機だってどんどん進化していくから、いずれはその表現スペースも失われてしまう可能性が濃厚なのだが。



<後日談 2006_05_29>
このゲーム、最後に仲間全員が個別に闘わなきゃならない。
つまり、全員の武器をレベルアップする必要がある、ということである。
それまで使いやすい面子で闘ってきたので、武器合成のためだけに、ひたすら経験値稼ぎをしなければならなかった。
しかし、私はそれが全然苦にならなくて、結構楽しかった。
もうちょっとシナリオを何とかしていただいて、ムービーをテンポアップして貰えれば、大満足といってもよかったな。

ムービーをカットする代わりに、テキストでストーリーを表示する機能とか付けてもらえないものだろうか。


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