ゲームデザイナーという職種がある。 いや、「ある」と思っているのは私たち素人だけで、本当はそんな職種無いんですよ、なんて話も耳にするけど。 ゲームデザイナーってのは確かに曖昧な言葉で、ゲームのシステムをデザインする人だろう、という程度の漠然としたイメージしか出てこない。 小さな開発現場だったらディレクター=ゲームデザイナーで通用するかもしれないが、大きな開発現場だと一致しないかもしれないな。 なんでゲームデザイナーの話を書いているのかというと、『ローグギャラクシー』の話を書きたいからである。 断っておくけど、私は『ローグギャラクシー』を割と楽しんでいる。 武器合成とか大好きなんだ、私。 レベルアップしていくのスゲー楽しい。 ただこのゲーム、シナリオは思わず笑ってしまうような内容である。 一体何歳のプレイヤーを想定して書いたのか。 あまりにもバカバカしい。 『ダーククロニクル』で懲りもせず、よくこんなモノを世に出してきたな、と驚いた。 一方で、ちょっと待てよ、とも思うのである。 今までのRPGだって、大体こんなもんじゃなかったっけ?って。 『ローグギャラクシー』だけが酷いわけじゃなくて、みんな酷かったのに、『ローグギャラクシー』だけが特に酷く感じられるんじゃないだろうか。 もしそうならば、当然それには理由があるはずである。 その理由はおそらく、描き過ぎなんだと思う。 創り手が描きすぎるから、プレイヤーの寄与分が減ってしまうのだ。 しばしば脳内補完って言葉が使われるけど、プレイヤー側でイメージをふくらませているから、今時のRPGみたいな一本道ストーリーにでも幾らかはプレイヤーの寄与分がある。 ところが、細部まで描いていって、プレイヤーの寄与分を減らしていくと、プレイヤーはもはやプレイヤーではなく批評家になってしまうんじゃないか。 面白くないのは自分の責任じゃないからね。 しかし、である。 観る側の寄与分がゼロとまではいわないけど、寄与分が極めて小さい映画でだって私たちは感動できるんだから、描いていけないわけではない。 要するに越えるべきハードルが高くなるだけである。 私たちが普段映画を見て、どのように批評しているかを考えれば、そのハードルがえらく高いことがわかるはずだ。 ここで冒頭のゲームデザイナーが登場する。 もうゲームデザイナーがシナリオまで担当する時代ではなくなったのかな、と私は感じていたのである。 どうもこのシナリオを書いたのはディレクター自身らしいのだが、素人が書くにも限界があるだろう。(この人にどの程度の才能があるのか、私は知らないけど) ドット絵で二頭身キャラが演技してた時代ならいざ知らず、このムービー全盛の時代には無理なんじゃないか。 餅は餅屋に、シナリオはプロのシナリオ書きに任せた方がイイ。 まあ、RPGのシナリオ書きなんてプロが存在するのかどうか知らないけど。 もしどうしても自分で描きたいなら、プレイヤーの寄与分を残す形でゲームは創られるべきなんじゃないか。 ほんの少し前までは、そういう創り手の表現スペースとしてGBAが残されていた。 これからはNDSがその役割を担うだろう。 もっとも、携帯ゲーム機だってどんどん進化していくから、いずれはその表現スペースも失われてしまう可能性が濃厚なのだが。 <後日談 2006_05_29> このゲーム、最後に仲間全員が個別に闘わなきゃならない。 つまり、全員の武器をレベルアップする必要がある、ということである。 それまで使いやすい面子で闘ってきたので、武器合成のためだけに、ひたすら経験値稼ぎをしなければならなかった。 しかし、私はそれが全然苦にならなくて、結構楽しかった。 もうちょっとシナリオを何とかしていただいて、ムービーをテンポアップして貰えれば、大満足といってもよかったな。 ムービーをカットする代わりに、テキストでストーリーを表示する機能とか付けてもらえないものだろうか。 |