久遠の絆

こりゃ、ギャルゲーじゃん!けど・・ 2000_06_28

    

「いやあああ、は・ず・か・し・い〜〜!」
私は恥ずかしさの余り、思わずアッチョンブリケをしてしまった。
そして、ああ、こりゃやっぱりギャルゲーだ、と思った。
『久遠の絆』の再臨詔をプレイしていたときのことだ。

実は再臨詔をプレイする前に、各キャラ別エンディングを攻略しているとき
から、何となくそんな気はしていた。
お気に入りキャラのエンディングを探している私がいるということは、この
ゲームは単なるギャルゲーなんじゃないかって。(ギャルゲーが悪い訳じゃ
決してないのだが)
だが・・、再臨詔の内容は余りにも凄いものだったのだ。(中身は伏せるが)
私はこのゲームについて、ここまで書いてきたことに些か自信を失いそうに
なっている。

しかし、である。
私がこのゲームを初めてプレイしたときの驚きは、決して嘘ではないと思う。
メチャメチャ面白かったのだ。
私は木っ端恥ずかしい文章を読みながら、なぜ自分はあんなにもこのゲーム
を楽しむことが出来たのかを考えてみた。
ポイントは2つ。

まず、「話が大きい」ということがあげられると思う。
ほとんど身内のケンカのようなストーリーなのだが、話がこの世界をどうす
るのかというところに及んでいるから面白いのだ。
多少、話の整合性・妥当性に欠けていたとしても、物語が外へ外へと広がっ
ていく方がワクワクする。
特定のキャラクターの内側へ向いていくストーリーは、書き手としても大変
難しいのだ。(なぜならば、内側へ行けば行くほど読み手が持っている経験
・感覚が異なってくるから)

そして、もう一つがこのゲームの肝である「輪廻」である。
私は以前、「死」にはとてつもない力があり、それを演出に使うことを嫌悪
する、と書いた。
この『久遠の絆』の中では、何度もメインキャラクターが死ぬのだが、私は
ちっとも嫌悪感を感じることがなかった。
なぜならば、「輪廻」するからである。
死んでも悲しくない。
だから、嫌悪しないのである。
しかし、そこにはそれ相応の「死」の効果があり、やはりグッと物語に引き
込まれてしまう。
要するに「ずるい」のだ、このゲームは。

それでも、私はファーストインプレッションを信じたい。
とても楽しかったのだ。


<付記 2000_07_12>


この話から『』と「」の対応を逆にした。
ゲームのタイトルを『』、その他を「」にすることに。
「」の方が使いやすいので、頻繁に使う方を「」割り当てたいのだ。

現在、固定フォントで右端を揃えるように書いているが、プロポーショナル
フォントで開いた人は読みにくいだろう。
そのうち何とかしようとは思っているのだが。(簡単な事なんだけど)


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