機神咆吼デモンベイン_2

井筒ならフリスビー 2005_03_03-05

 

ギャルの力は凄い。
私は『機神咆吼デモンベイン』を続けていた。
このゲームにはヒロインが3人いて、結局全部見ないことには気が済まなかったのである。
私は自分のゲームを楽しむ才能を見直すべきではなく、ギャルゲーを楽しむ才能を見直すべきだった。

ものすごく長いストーリーなので、読むのだけでも大変。
ストーリーの重複部分は早送りしているのだが、それでもちっとも進まなかった。
おそらく20時間はかかっているのではないか。
読んでいると、伏線がいっぱい張ってあったことに気がついて、それなりに楽しかった。
しかし、これは一体どういう事なのかな、と思うことはあるのである。

このゲームは「クトゥルー神話」とかいう誰かが勝手に作った物語をベースにしているらしいのだが、これがけったいな話なのだ。
外宇宙の神々がどうのこうの・・・と話が展開していく。
まあ、要するにとても人間の手に負えなさそうな敵が必要だからなんだろうけど、井筒ならフリスビーだな。

「悪」とか「魔」とかっていうのは、本来具体的な態様をもって把握されるものである。
「人を殺す」とか「ものを盗む」とか「人を妬む」とか。
そして、それには常に行動主体が伴う、「誰某が」という。
主体は常に人間である。
例えば、飢えた虎が人を食い殺したとして、それは悪として把握されるものなのか?
そうじゃないでしょ。
(そのことは悪であるためには神々ですら人間でなくてはならない、ということをも指し示しているかもしれないけど、今は置いておこう)

ところが、個々の具体的な事象から抽象的な「悪」とか「魔」を抽出して、もう一回具現化して「邪神」みたいなのを創りあげてしまうんだな、不思議なことに。
人の想像力のなんと豊かなことか。

一方で、同時にそれは人間から逃げているとも言える。
私たち人間が思う「悪いこと」を人間から切り離しちゃうことだからな、それは。
なんか悪の抽象概念みたいなのがあって、それが人間を悪くしてることになる。
なんのこっちゃい、と思いながらず〜っと読んでたな。

ゲームの世界には「魔」も「邪神」もいっぱい出てきて、普段はあまり気にしていないんだけど、ここまで長〜いこと読んでると色々考えちゃうよ。
読んでるだけでこっちも暇だから。
色々考えちゃうと、楽しかった話よりもそっちを書きたくなるのである。



<語句説明>

けったいな:へんな、おかしな、を意味する富山・岐阜〜岡山の方言。
もうちょっと広い範囲で使われていると思っていたのだが、思いのほか適用範囲が狭いな。

クトゥルー神話:誰ぞが書いた恐怖小説をベースに、色んな人が書き足した物語全体をさして、こう呼ぶんだそうだ。
私は興味がないので、それ以上は調べてない。

井筒ならフリスビー:井筒監督が映画の評価ボードをフリスビーのように投げること。勝手に命名。
金曜日深夜のTV番組「虎の門」に出演している井筒監督の物言いが私は大好きで、毎週楽しみにしている。
ゲームでも映画でもそうなのだが、井筒監督ならなんて言うかなーとか考えながら観ていることがよくある。
彼はゲームに偏見を持っているから、絶対にプレイすることはないけどね。



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