オブリビオン

自由度が高いことは良いことなのか 2007_09_10

 

自由度が高いことはプレイヤーにとって果たして良いことなのだろうか?
私は全く良いとは思わない。
自由度は少なくともある程度制限されるべきであると考える。
私はこの点について必死に書かなければならない状況に陥っている。

ゲームというものは、少なくともプレイヤーの内側においては創り手と遊び手の共著作物である。
当然、その創作性において寄与分を巡る争いがあるだろう。
出来れば自分の寄与分を大きくしたいのだ、人間という生き物は。
大抵のゲームクリエイターは将来は映画を作りたいなどと宣うものだが、あれは要するに自分の寄与分を100%にしたいという願望の現れなんじゃないか。(観る側の内側では100%になり得ないけど)
映画ってのは映像・音・その間合いにいたるまで全てが創作者の支配下に置かれるものなのである。

ところが。
プレイヤーのすべてが自分の寄与分を増やしたいと思っているわけではない。
むしろ増やしたいと思う方が圧倒的少数だろう。
だって単なる娯楽としてプレイしているだけなんだから。
別に自己顕示欲を満たそうと思ってプレイしているわけではないのである。
要するに楽しければいいのだ。
逆にいうと、楽しくなければゲームをプレイする理由などはない。
世の中には楽しいものが他にいっぱいあるのである。

ここで、縦軸にゲームをプレイすることで得られる喜びの積算量を、横軸に時間をとったグラフを頭の中に描いて欲しい。(絵は載せられないからね)
仮に10単位時間に10単位喜び量を得られるゲームを考えてみることにしよう。
ちなみに、ここで私がいう喜びというのは、単に負荷を乗り越える事で得られるものだけではない。
新規な情報を得ることでもイイし、何かを収集することでもイイし、コミュニケーションを取ることでもイイ。
喜びを厳密に定義すると論理が破綻する恐れがあるので、ここでは極めて曖昧な概念だと思って頂きたい。

スタートからずっと喜びが0で、10単位時間経過した段階でドーンと10単位喜び量得られるゲームと、1単位時間進むごとに1単位喜び量を得られ、10単位時間経過時点で10単位喜び量を得られるゲームと、果たしてどちらが好ましいだろうか?
これはもう明らかに後者だろう。
もちろん両方とも喜びの総量は10ではある。
しかしながら、喜びが何もない時間は短い方が良い。
なぜならば、プレイヤーは喜びが得られなければ止めてしまうかもしれないからだ。

だから、ゲームには限定が必要になってくるのである。
創り手が想定している時間内にプレイヤーがあるポイントに来てくれるように。
プレイヤーの寄与分を残そうと思えば、やむを得ないので誘導をかける事になる。
誘導はプレイヤーに気付かれないように出来れば、それに越したことはない。
プレイヤーは自分で選択し、満足したような気分になっているのに、創り手の想定内に収まるのである。
たとえば、プレイし終えて随分時間が経ってから気付いたのだが、DQ8のオープニングの誘導は良くできていたな。
最初の尋ね人が死んでいる。
だが、ただ死んでいるだけでなく、家が焼けていた。
なぜ焼けていたのか、焼けた結果どういう効果をもたらしたのかを考えると、我々が今プレイしているゲームがどのようにして創られているのかが解りそうである。

私はそういう今時のゲームのあり方を支持している。
いつも「心配り」と私が表現しているゲームのあり方をである。
そんなやらされているだけのゲームはつまらない、と言い放つことは簡単だが、実際問題として自由度が高いゲームはどうしてもある時間を切り出したときの喜びの密度が低くなる。
これはきついよ。
子供の頃からゲームばっかりやってきた私がきついと思うんだから、きっと大抵の人にはきついだろうと思っている。

なんでこんな話を書いているのかというと、私は自分を正当化しなければならないからである。
私は360の『オブリビオン』を、おそらく私が思う典型的な悪い洋ゲーだろうと知りながら敢えて買った。
まあ、いわば怖いもの見たさである。
しかし、予想以上に手強い相手だった。
最初の地下道を抜けた後、このゲームにはなんの心配りもない。
プレイヤーのモチベーションを高める何ものかもないまま、やけに間延びしたマップを進まなければならないのだ。
これはメインストーリーを追っていっても変わらなかった。
一応、買ったからにはちゃんとやろうと思っていたのだが、もう序盤で投げ出しそうである。

洋ゲーだからといって、近頃は私が考える悪いゲームばっかりでもなくなってきた。
洋ゲーの悪いところってのは全部一様なシステムで統一して制作の効率を求めるところなんだけど、 『GEARS OF WAR』なんかは全然違う。
日本のゲーム作りをよく研究してると思うよ。
あれなら何とかプレイできる。
しかし、『オブリビオン』は・・・ちょっとね・・・。
忍耐の限界です。


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