ゲーム雑誌を買わなくなって久しい。 最後に買ったのがいつなのか覚えていないが、少なくともドリームキャストの情報がなくなってからは買っていないはずだ。 ゲーム雑誌読まなくなると、発売前のゲーム情報が入ってこなくなるな。 自分からアクセスしてないし。 大抵の場合、レビューがあがってくるようになって、ああ、そんなゲームがでてたのか、と気づくことになる。 アマゾンのランキングにも出てこないようなマイナー作品なら尚更。 私が中さんとこが開発した『アイビィ・ザ・キウィ?』に気づいていなかったとしても、それはやむを得ない事じゃないか。 発売元がバンダイナムコで中さんだとは普通思わないだろ。 しかし知ってしまった以上、やらないワケにはいかない。 この地上にDC2を発売したいと言ってくれた人は、中さんただ一人だからな。 早速入手して・・・と思ったのだが、ちょっと待て。 このゲーム、どこかで見たことないか? しかもすっごい前に! 記憶をたどってみると、DS発売直後にあっただろ、『キャッチ!タッチ!ヨッシー!』が。 やばくない? あの作品、いかにもラインナップの都合で適当に作りました的な雰囲気だったので、私はやってなかったな。 これは先に『キャッチ!タッチ!ヨッシー!』をやっておいた方がイイ、という結論になった。 やってみないことにはヤパイかどうかもわからない。 やってみたら凄い作品だったな。 ふっるいゲームだから今更書くこともないけど。 絶妙のバランスだよ。 初見でもある程度は出来る。 動きは遅めだ。 しかし、覚えることで生まれる余裕をプレイヤーが埋められるように作ってあって、ついついやり過ぎて死ぬ。 無理をしたくなる自分と相談して進めて行く楽しさ。 ホントにイイゲームやってるときの感覚を久しぶりに味わった。 それに、上下画面の距離を負荷のデザインに組み込んであるあたりは、さすがにゲームウオッチを作り出した任天堂だけある。 画面が離れていて不便だということは、即ちそれが負荷でもあるワケだから。 目的意識が全くないので、ある程度を超えて更にやり込むのは難しいし、今ならダウンロード販売で1000円ぐらいのボリュームかもしれんが。 これ2005年の1月に発売されてたんだよ。 信じられない。 今2010年だもん。 ヤバイだろ、『アイビィ・ザ・キウィ?』 ちょっとムービーを見た限りでは、マリオに対するソニック的な位置づけを狙っているようにも見えなくはないが・・・。 それにしても、もうDSも終わりのこの時期に。 『アイビィ・ザ・キウィ?』の発注は済ませたが、まだ私はプレイしていない。 しかし、やる前から周回遅れの予感がする。 DC2への道は険しいな。 |
人間、言葉を覚えるときは大抵の場合、具体的な用例から意味を推測しているはずである。 私は子供の頃、三つ子の魂百まで、という言葉を聞いて、その意味は「幼い頃に身につけた習性は歳をとっても変わらない」というような意味であろう、と予想は出来た。 しかし、なんで三つ子なんだ?と思った記憶がある。 私は三つ子を、3人同時に生まれた子供の事だと思っていて、なんでそういう意味になるんだろう?と思ったものである。 今は検索すれば一発だが、当時はそんな便利なものもなく、面倒だったので調べもしなかった。 三つ子が三歳児の意味であることを私が知るのは、随分とのちになってからのことである。 もっとも、ここまでの話はゲーム話とはまるで関係がない。 ようやくDS版の『アイビィ・ザ・キウィ?』を一通りプレイすることが出来た。 周回遅れ、というイメージは正しくなかったかもしれない。 やろうとしていることが全然違う。 そもそも走っているコースが違っていた。 やっぱり速いんだよ、ソニックほどではないにせよ。 速くても画面が広い、あるいは画素が多ければ問題ないのだが、実際にはDSの画面は変わらない。 性質上、使えるのは下一画面だけだしな。 そうすると、画面に敵なり障害物が現れてからプレイヤーがそれに対処するまでの時間がどうしても短くなる。 初見では難しいだろう。 このゲーム、接触即死だし。 そうすると必然的に、敵や障害物は間隔をおいて疎らに配置される。 対処しきれないから。 ところが、何にもないところは暇だから、慣れてくると自分はより速く動かないと退屈だっていうことになる。 結局、速いって事はソニックみたいにコース全部覚えて、ビューン!ドーン!バーン!ってやんないと面白くないって事なんだ。 相当やり込まないとこのゲーム、退屈で意地悪だという印象しか残らないんじゃないか。 その割にこの『アイビィ・ザ・キウィ?』にはビューン!ドーン!バーン!ってやりたくなる動機付けが全くなんにもないんだけど。 驚くほど何もないね。 そもそもビューンって走るようなキャラ設定でもないんだよな、どういうワケか。 『キャッチ!タッチ!ヨッシー!』なんかだと、ベビーマリオの落下速度や、ヨッシーの動きを遅めにして、見る時間を作っている。 最初は生き残るだけでもいい。 その上で出来ることをたくさん用意しておいて、空いた間は自分で無理なく詰めていってねっていう具合に作ってあるんだよな。 遅い分、ステージが密。 これはアプローチが全然違う。 初見の印象は断然こっちの方がイイし、自然とやり込みたくなる。 別に『キャッチ!タッチ!ヨッシー!』に対抗しようと思ったわけじゃないんだろうけど、かつてマリオに対抗してソニックを作った中さんとこがこれを作ったのも、さもありなんという気はする。 歳をとってもアプローチは変わらないということか。 今も昔も負荷のデザインとしてのゲームは変わらないわけだからな。 残念なことに、時代の方は変わってしまったように思えるのだが。 今の時代、この地味なゲームをやり込もうっていう気にはならないよな。 他に選択しうるゲームはいっぱいあるわけだし、そもそも他の娯楽だって昔とは比べものにならないくらいたくさんあるんだから。 |