流星のロックマン LEO

強引さがタマラナイ 2007_01_23

 

凄い強引さだな。
私はこういうの大好き。
『流星のロックマン』はぐっと引き込まれるモノがあったな。
「ロックマンエグゼ」シリーズが終わってくれて正直なところホッとしていたのだが、また付き合わなければならなくなりそうである。

昨年末に発売された『流星のロックマン』はどうも出荷が多すぎたらしく、既に半額程度で売られている。
いかにも売れなさそうなタイトルではあるな。
「流星の」って、いつの時代のネーミングやねん、と思いながら『LEO』を買ってみた。(3バージョンのうちの一つ)
しかし、これがすごいゲームだったのである。
なんという強引さ。
常識を持ってしてはなかなかこうはいかない。

私が見た所このゲームは、如何にエグゼシリーズからシナリオとして離れつつ、プレイヤーの感覚としては連続性を感じられるか、にフォーカスして創られたようだ。
戦闘が3Dになって、やや見辛くなった印象はあるモノの、まあ大体「エグゼ」と似たような感じである。

ただ、ゲーム世界の設定が凄い。
とうとう電磁波が生物扱いになってしまった。
普段見ることの出来ない電磁波が人格を持っているのである。
これはぶったまげた。
プログラムが人格を持っている事に驚いていたのが懐かしくなってしまう。

で、人間界(物質界?)と電磁波界が別階層で画面に表示されているんだけど、これはエグゼのネットワーク世界とあんまり変わらない。
「エグゼ」でロックマンがネットワークに入っていくことと、「流星の」で主人公HIVが電波界に入っていくことと、概念としては全然違うんだけど、やってることは同じ。
あんまり違和感はないんだな。
中身が同じになるように、設定側で強引に合わせてきたな、って感じ。

何より強引さで私が一番気に入ったのは、ロックマンの名前の由来。
主人公に取り付いたFM星人の名前がウォーロックで、ウォーロックに取り憑かれて変身するからロックマン。
あれは笑える。
そこまでしてロックマンにしなければならないのか?
一体ロックマンであることになんの意味があるのか?
考えれば考えるほど笑える。
私はこういう強引さが大好き。

正直なところ、もう雑魚戦とかには食傷気味なんだけど、また付き合わなきゃいけないのかな、と思い始めている。
思いのほか売れなかったらしいから、続編は出ないかもしれないが。
その場合であっても、設定だけ変えた強引な作品をまた見ることが出来るかもしれない。
それはそれで楽しみなことである。


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