黄金の太陽〜失われし時代〜 2

踏み絵 2002_09_15

 

「私はゲーマーなんだ」という立場に立とうとする。
そうすると、「このゲームは絶賛しておかないとマズイよな」と思う構成のゲームがあるわけだ。
いわば「踏み絵」みたいなモノである。
私は『黄金の太陽〜失われし時代〜』を終えるにあたって、これを書くべきか書かざるべきか迷ったのだが、今これを書いているからには、踏み絵を踏む決意をしたということになる。
いや、「踏み絵」なんだから、踏まない決意というべきか。

『黄金の太陽〜失われし時代〜』は、中盤でプレイヤーを「ドーン」と突き放しにかかる。
船を手に入れてから、何処へでも好きなところへ行っていいよ、と言われるのだ。
マップ上で行けるところを探して、イベントをクリアしていくことになる。
まずこれが大変。
さらに困ったことには、クリアするのに必要なエナジー(超能力みたいなもの)というのが存在するので、必然的にクリアする順番というのがあるのだ。
これはとりあえずその場へ行って、いま持っているエナジーでクリアできるか試してみないと判らない。

これは辛いね。
いま自分がやっていることが正しい方向なのかどうか判らないって。
散々試してみて無駄だと判ったら大ショック。

おまけに物語が全く進まないので、プレイヤー側のモチベーションが難しくなってくる。
ホントに全く進まない。
局面局面のイベントが独立していて、物語のメイン部分が絡んでこない。
「我々はレムリアへ向かわねばならんのじゃからな」というセリフを聴いて、「あれっ!?俺ってレムリアに向かってたの?」なんて思うことが良くあった。
余りにも進展がないため、物語が頭からすっ飛んでしまい、ただ謎解きをすることばかり考えていたのだ。

大昔のRPGってこういう構成が多かったような気がする。
プレイヤーは勝手に遊んでくれたのである。
ぞんざいなストーリーでも、プレイヤーが勝手に頑張って、勝手に物語を創る。
しかし最近のゲームは、それじゃあプレイヤーがついてこないので、出来るだけ何をするかハッキリさせるような構成になっているし、一定時間ごとに見るだけイベントを挟むことになっている。

で、私達がたまに『黄金の太陽〜失われし時代〜』みたいなゲームに出会うと、「こいつは凄いぜ!」と言いたい気持ちになるのである。
なんてたって歯ごたえが違う。
高橋兄弟史上、最高得点がついたというのもその辺が理由なんじゃないかな、と私は思ったりしている。(ファミ通の話)

でも、私はラスト周辺の一本道になってからの方が楽しかった様に思えるのである。
純粋に謎解きに没頭できたし、なぜ謎解きしなければならないのかという理由も明らかになって、モチベーションを保ちやすかった。
中盤は楽しいよりも辛い方が大きかったかなあと、正直に告白しておくべきなのだ、私は。
そうしないと、『黄金の太陽〜失われし時代〜』が素晴らしいんだ、と主張しても嘘になってしまう。
もちろん、これを文句なく、「すんげー楽しいぜよ」と感じられる自分をつくっていこう、というのが私の目指すところでもあるわけなのだが。

「GBAだからこそ、これでいいんですよ」という話もあるんだけど、それはまた次回に。


<訂正>
高橋兄弟史上最高得点がついたのは『黄金の太陽〜開かれし封印〜』の方だった。
頭の中で情報が混ざっちゃったみたい。



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