ゲームファンとアニメファンは集合として被っていると言われる。 おそらく正しいのではないか。 ゲーム機の容量が増えるのに伴って、音声を使ってやろう、という発想が生まれてくるのは当然のことのように思える。 しかし、一方でゲーマーの立場としては、声なんか要らない、という意見もある。 私流の表現をすれば、声が入っているということは、それだけプレイヤーの寄与分が減るわけだから、ゲームを自分のものにしたい、という要請とは相反するものだとも言えるわけだ。 音声を強制すると単位時間あたりの喜び量が逆に落ちる、という言い方も出来る。 さて、いったいどうしたものか。 DSの『シャイニング・フォース フェザー』をプレイしてみた。 ゲームとして見るべきところはどこにもない。 というか、一体どこいら辺が「シャイニングフォース」なのかと問い詰めたい気分である。 「シャイニングフォース」はやっぱり高橋兄弟が創ってくれないと「シャイニングフォース」って感じはしないな。 高橋兄弟カムバック!! このゲームはつまらない。 しかし、そんなに腹が立ったかというと、実はそうでもない。 割と面白かったのである。 何が面白かったかというと、キャラの掛け合いが面白かった。 とにかく登場人物が全員バカ。 これはなかなかお目にかかれない。 バカとバカの掛け合いが面白いのである。 テレビなんか見てても、いま時代はバカだからな。 ある意味タイムリーな作品なのかもしれない。 このバカさ加減を表現するのに声は結構役に立ってたな。 必須イベントの大半に音声が付いているんだけど、序盤でぱっとキャラが体に入ってきた。 ある程度キャラが出来てくれば、途中からは音声飛ばしてもいいわけだから。 必須ではない幕間のイベントも楽しく読めた。 音声無くても自分の中でキャラが動いている感覚はあったな。 もし音声がない方がいいなら、さすがに無くなってるだろう。 ゲーム業界だってずいぶん経験を積んできたわけだから。 音声も使いようということではないか。 ほどほどに使う分にはプラスの効果もある。 <追加> たまたまPSPの『スターオーシャン2』をやってたら、音声が飛ばせなかった。 というか、コンフィグで直せるのだが、気付かないでしばらくやっていて辟易した。 やっぱり音声強制は駄目だな。 |