シャイニング・フォース フェザー

声も使いよう 2009_05_11

 

ゲームファンとアニメファンは集合として被っていると言われる。
おそらく正しいのではないか。
ゲーム機の容量が増えるのに伴って、音声を使ってやろう、という発想が生まれてくるのは当然のことのように思える。
しかし、一方でゲーマーの立場としては、声なんか要らない、という意見もある。
私流の表現をすれば、声が入っているということは、それだけプレイヤーの寄与分が減るわけだから、ゲームを自分のものにしたい、という要請とは相反するものだとも言えるわけだ。
音声を強制すると単位時間あたりの喜び量が逆に落ちる、という言い方も出来る。
さて、いったいどうしたものか。

DSの『シャイニング・フォース フェザー』をプレイしてみた。
ゲームとして見るべきところはどこにもない。
というか、一体どこいら辺が「シャイニングフォース」なのかと問い詰めたい気分である。
「シャイニングフォース」はやっぱり高橋兄弟が創ってくれないと「シャイニングフォース」って感じはしないな。
高橋兄弟カムバック!!

このゲームはつまらない。
しかし、そんなに腹が立ったかというと、実はそうでもない。
割と面白かったのである。
何が面白かったかというと、キャラの掛け合いが面白かった。
とにかく登場人物が全員バカ。
これはなかなかお目にかかれない。
バカとバカの掛け合いが面白いのである。
テレビなんか見てても、いま時代はバカだからな。
ある意味タイムリーな作品なのかもしれない。

このバカさ加減を表現するのに声は結構役に立ってたな。
必須イベントの大半に音声が付いているんだけど、序盤でぱっとキャラが体に入ってきた。
ある程度キャラが出来てくれば、途中からは音声飛ばしてもいいわけだから。
必須ではない幕間のイベントも楽しく読めた。
音声無くても自分の中でキャラが動いている感覚はあったな。

もし音声がない方がいいなら、さすがに無くなってるだろう。
ゲーム業界だってずいぶん経験を積んできたわけだから。
音声も使いようということではないか。
ほどほどに使う分にはプラスの効果もある。



<追加>
たまたまPSPの『スターオーシャン2』をやってたら、音声が飛ばせなかった。
というか、コンフィグで直せるのだが、気付かないでしばらくやっていて辟易した。
やっぱり音声強制は駄目だな。


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