ポケモン超不思議のダンジョン_2

どう見ても子犬 2015_10_30

 

『ポケモン超不思議のダンジョン』をこれ以上続けるのは難しかった。
クリア後の収集要素だけではモチベーションを維持できなかったな。
でも、クリア後もやり続けようとは思ったんだ。
意表を突かれるエンディングから、その回収に至るまでが上手かったから続けられたんだと思う。
更に言うと、意表を突かれたときの衝撃の大きさが、たまたま自分のパートナーがフォッコだったことに起因している様な気もしている。
このことについて書きたいのだが、どうしてもエンディングに触れなければならないので、今後プレイするつもりのある方は読んではいけません。


「ポケダン」シリーズでは、毎回主人公はポケモンだけの世界に召喚された人間という設定になっている。
目的を達成すれば、最終的には人間界に戻らねばならない。
最後にはパートナーとの別れが待っているのだ。(なんだかんだ理由を付けてゲームは続けられるけど)
今回もそうなんだろうなーと覚悟してエンディングを迎えたところ、衝撃の事態に。
消えたのはフォッコの方だった。
めちゃくちゃショックだったよ。
フォッコのキャラが立ってたからね。

今回の『ポケモン超不思議のダンジョン』では、自分とパートナーがどのポケモンになるか、が最初の性格判断みたいなアンケートで決まる。(気に入らなかったら、変えられる)
私の場合は、自分がゼニガメでパートナーがフォッコだった。
このフォッコがテキストに凄くはまってた。
浮かれすぎて騒がしいからクラスメイトに迷惑がられてる子供、という設定なんだけど、そもそもフォッコって見た目が子犬でしょ。
これがテキストにピッタリなの。
キャラによってテキストが変わるのかどうか知らないんだが。

それが消滅しちゃったもんだから、こっちとしては助けないわけにはいかないでしょ。
助けられそうな雰囲気は漂ってたんだよ。
ミューの中にフォッコを見出す件は伏線が見事に生きてたな。
子供向けのように見えて、なかなかどうして大したもんだよ。
フォッコじゃなくても、あれがぴたりとハマるのかどうか、私には分からないんだが。

フォッコを助けるためには、お助けやらダンジョン踏破などの通常運転をやりつつシナリオの進展を待つワケなのだが、これが上手いことクリア後もやり続ける切っ掛けになった。
フォッコを助けた後も、習慣のようになんとなく続けることができたからね。
エンドロールで区切る位置とシナリオの終わりをずらすことで、上手くプレイヤーを引っぱってるんだと思うな。
くどいようだけど、パートナーがフォッコじゃない人がどう感じるのかは、私には想像がつかないんだが。
フシギダネとかだったら、ハマらない気もするんだよなあ。
あいつ、人間の出来が良いからな、人間じゃないけど。


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