私は気が進まなかった、『セガガガ』をプレイするのは。 情報を集めれば集めるほど、今の私の気分には合わないような気がしていたのだ。 ところが、現在すでに2周りプレイし終えている。 つまり大変面白かったのである。 私はファミコン全盛期にはパソコンゲーマーだったのでわからないネタもあったのだが。 例によって、このゲームがどんなゲームなのかについては、ここでは触れないことにする。 知りたい人は既に知っているだろうし、他に書いてくださる方いっぱいいるだろう。 私はやっぱり自分のことが書きたい。 私はいつも「ゲームはこうあるべきだ」と書いている。 私は単なる遊び手なので、言うのは勝手である。 しかし、ゲーム中で私は何度もディレクターにしょっぱい指令を出していたのだ。 問題のある部分を直さないで削除させたこともあるし、直す場合でも「スケジュール内で出来る限り」を選んだこともあった。 そうせざる得なかったのだ。 だって期日までにノルマを達成しなければならなかったから。 更にたちが悪いことには、多少妥協しても、結局売れ行きはあまり変わらない。 売れ行きは期待値に左右され、作り込んでも伸びは微々たるものである。 現実の世界でもそうかもしれない。 何せゲーム販売数の8割までが発売後2週間で売れるわけで、作り込んでいることが話題になる頃には、欲しい人はほぼ全員が持っているわけである。 「妥協しちゃってもいいんじゃないか」 そんな誘惑にいつも作り手は晒されていることだろう。 私たちに何か出来ることはあるだろうか? 考えてみたのだが、出来ることといえば、素晴らしいゲームを創った人たちの名前を覚えておくことぐらいである。 作り手が、名こそ惜しけれ!と誘惑に打ち勝てるように。 もっとも過去に失敗を犯した人をいつまでも憶えていると、その人は立ち上がれないのだが。 結局のところ、受け身の私たちには無責任に「がんばってね」と言うことしかできないのかもしれない。 創る側にまわらない限りは。 <追記> この『セガガガ』というゲームには、コレクション要素がある。 しかしながら、システムデータをセーブデータと分離できないため、リロード攻撃が出来ないのだ。 「システムデータをどうして切り離してくれなかったんですか?」って、クリエイターの方に問いかけるのは酷なことなんでしょうか? 毎日時間が足りなくて、辛いっす。 |