セガガガ

無責任な「がんばってね」 2001_04_05

 

私は気が進まなかった、『セガガガ』をプレイするのは。
情報を集めれば集めるほど、今の私の気分には合わないような気がしていたのだ。
ところが、現在すでに2周りプレイし終えている。
つまり大変面白かったのである。
私はファミコン全盛期にはパソコンゲーマーだったのでわからないネタもあったのだが。

例によって、このゲームがどんなゲームなのかについては、ここでは触れないことにする。
知りたい人は既に知っているだろうし、他に書いてくださる方いっぱいいるだろう。
私はやっぱり自分のことが書きたい。

私はいつも「ゲームはこうあるべきだ」と書いている。
私は単なる遊び手なので、言うのは勝手である。
しかし、ゲーム中で私は何度もディレクターにしょっぱい指令を出していたのだ。
問題のある部分を直さないで削除させたこともあるし、直す場合でも「スケジュール内で出来る限り」を選んだこともあった。
そうせざる得なかったのだ。
だって期日までにノルマを達成しなければならなかったから。

更にたちが悪いことには、多少妥協しても、結局売れ行きはあまり変わらない。
売れ行きは期待値に左右され、作り込んでも伸びは微々たるものである。
現実の世界でもそうかもしれない。
何せゲーム販売数の8割までが発売後2週間で売れるわけで、作り込んでいることが話題になる頃には、欲しい人はほぼ全員が持っているわけである。
「妥協しちゃってもいいんじゃないか」
そんな誘惑にいつも作り手は晒されていることだろう。

私たちに何か出来ることはあるだろうか?
考えてみたのだが、出来ることといえば、素晴らしいゲームを創った人たちの名前を覚えておくことぐらいである。
作り手が、名こそ惜しけれ!と誘惑に打ち勝てるように。
もっとも過去に失敗を犯した人をいつまでも憶えていると、その人は立ち上がれないのだが。

結局のところ、受け身の私たちには無責任に「がんばってね」と言うことしかできないのかもしれない。
創る側にまわらない限りは。


<追記>

この『セガガガ』というゲームには、コレクション要素がある。
しかしながら、システムデータをセーブデータと分離できないため、リロード攻撃が出来ないのだ。
「システムデータをどうして切り離してくれなかったんですか?」って、クリエイターの方に問いかけるのは酷なことなんでしょうか?
毎日時間が足りなくて、辛いっす。


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