グランディア2_2

お父さんは諦めず息子を理解した 2000_08_05

 

『グランディア2』を始めて1時間ぐらいが経過したとき、私は「ひょっとすると、これはひょっとするかも」と思った。
現在、プレイタイムは6時間に差しかかろうとしている。
私はなんだか、かつて私が考えたお父さん(ゲームアーツ)が、ついに息子(ユーザー)のことを理解してくれたような気がして、とても嬉しくなってくるのだ。

かつてSSで『グランディア』をプレイしていたとき、「あれっ?これはちょっと違うかも」と感じたのを覚えている。
熱意は伝わってくるのだ。
しかし、それは私が求めているものではなかったし、いわゆるマニア達を納得させるものでもなかったし、FFなどに慣れ親しんだ普通のユーザー達の求めるものでもなかったように思う。
面白くないとまでは言えないが、その注いでいる努力の、注ぎ場所が違っているように感じたのだ。

私は当時、『グランディア』というゲームで何か例え話は作れないかなあ、と考えたことがあり、その時に考えたのはこんな話だった。(もちろん単なる言葉遊びに過ぎないのだが)

仕事一筋(技術的を追いかけてきた)のお父さん(ゲームアーツ)が、息子(ユーザー)の誕生日にプレゼント(グランディア)を用意しようと考えた。
今まで仕事ばっかりで、息子を構ってやれなかった。
誕生日ぐらい何かプレゼントを買ってやりたいと思ったのだ。
ところが、日頃息子と話をする事も希なお父さんは、いざプレゼントを買おうと思っても、息子が何をほしがっているのかわからなかった。
それでもお父さんはお父さんなりに、精一杯考えてプレゼントを用意した。
誕生日の当日、息子はお父さんからプレゼントをもらって喜んだが、中を見てちょっとガッカリした。
自分が欲しかったものと少し違っていたのだ。
その表情(売れ行き)をみて、お父さんも少しガッカリした。

とまあ、こんな話である。
特別面白い話でもなんでもなくて大変恐縮なんですが、はい。

さて、実は私は、ゲームアーツ(お父さん)は私(息子)を理解することを投げてしまったんじゃないか、と思っていた。
PS2に参入したゲームアーツは、なんだか私から離れていくように感じていたのだ。
しかし、そうではなかった。
プレイヤーを理解しようとし続けていたのだ、『グランディア』以降も。(PS2の方が一般向けのイメージが強いから妥当な線だと言えなくもないが)

私は『グランディア2』の快適さが気に入っている。
出来そうもないことを無理矢理詰め込んで、その代わり変な負荷をプレイヤーに強いるような、ゲームアーツ特有のくせがない。
DCのパワーで出来ることを上手に組み合わせて、今までのRPGを1ランクも2ランクも上に押し上げて見せた事がこのゲームの素晴らしいところだと思う。
他のDCのRPGと比べても、1世代上の作品だと言って良いだろう。

是非、売れて欲しいと思う。
お父さんの喜ぶ顔が見たい。


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