テレビゲームは得をするものである。 何か現実世界で価値のあるものをゲームの中に置き換えてやることが、その一つの実現方法であることは間違いない。 人が嬉しい時ってどんな場合か、人が満足を感じる時ってどんな場合か。 それをゲームの中で実現してやろうとするのもよし。 人が悲しいときはどんな場合か、人が満たされない時ってどんな場合か。 それをゲームの中で克服させるのも良かろう。 おそらくゲームのモチーフを決める立場の人間は、そういうことを考えているのではないか。 やっと終わった、『Ever Oasis 精霊とタネビトの蜃気楼』。 発売日からやってたんだけど、他のゲームに時間を取られてなかなか進まなかったし、それ以上に終わりたくもなかった。 最後のあそこに進みたくなくて。 「戻ってこられなくなる」という水の精霊の言葉に何か予感めいたものはあったんだ。 その話はまあいいか。 このゲーム、終わりたくないと思うぐらいには面白かった。 何がイイって、どんどんハッピーになっていくところが良かったな。 その点について少し書きたい。 このゲームを大雑把に言うと、仲間の特技を使って謎解をする「ゼルダ」っぽいダンジョンと「ルーンファクトリー」を大雑把にしたようなオアシス育成を組み合わせたような感じかな。 それは置いておくとして、このゲームでは仲間がオアシスに集まってくる。 ここが上手いところで、砂漠って生きるのが辛いでしょ。 そこにオアシスがあったら嬉しい。 仲間が集まってきたら嬉しい。 仲間がお店を持てたら嬉しい。 居場所のなかった仲間が居場所を見つけられたら嬉しい。 仲間のために働けたら自分が嬉しい。 仲間が増えてオアシスが大きくなったら自分も精霊も嬉しい。 という具合にハッピーがどんどん積み重なっていくんだよ、このゲーム。 絵柄のせいもあるんだろうけど、キャラクターがまた嬉しそうなんだ、これが。 喜ぶ仲間を見ていると、プレイヤーしていると自分も嬉しくなる。 更にこのゲームは間を置かない。 仲間を獲得することや仲間が店を開くことが次の仲間を獲得するフラグになっていて、芋づる式に仲間が見つかるのだ。 次から次へ仲間が増えて、どんどんハッピーになる。 何も成果が得られない時間帯がほとんど無い。 これはよく出来た作りだった。 このゲーム、一見子供向けのような印象なんだけど、思いのほか人間をよく理解している作品だと思うんだ。 最後の辺りなんかも、意外と示唆に満ちているというか、お説教臭いというか、そうバカには出来ない。 その内容の是非はともあれ、よく考えられた作品のような気がするな。 |