にゃんこ大戦争、android版_4

本質的な定義 2019_06_30

 

『にゃんこ大戦争』が大好き。
もうホントに好きなの。
キャラがわらわら戦うのがたまらなく好き。
android版だけでもう300時間を突破している。
ゲリラステージの出現スケジュールに生活を合わせているぐらい好きなの。

よく考えたら昔から好きなんだよ、たくさんのキャラがわらわら戦うゲームが。
遠い記憶を紐解けば、『ボコスカウォーズ』とか『シルバーゴースト』なんかが大好きだった、私は。
じゃあ、なんでたくさんのキャラが戦うゲームが好きなのか、と考えていくうち、「テレビゲームは得をするものである」という定義はまんざらでもないと思えてきた。
結果から導かれる定義だと思っていたが、もしかしたら本質的な定義なのかもしれないのである。

というのも、コンピューターってそもそも計算機でしょ。
計算機って便利なもの、つまり得をするものである。
手計算やそろばんより、早く正確に、そして大量に計算することが出来る。
だからコンピューターを使うようになったのだ。
そのコンピューターを我々はテレビゲームとして使っているのである。
人間が一つ一つ操作するより、その能力を超えてたくさん操作できるようにすることって、まさしくコンピューターの、テレビゲームの本質なのではないか。
ということは、プレイヤーが手に負えないほどの負荷を加えて、それを自動化によって克服していくってのは、極めて真っ当なゲームデザインであると言えるだろう。
正に本流。
こういうゲームが生まれてくるのは当然の成り行きなのだ。

ただし、手に負えないほどの負荷に何かしらの価値が必要だけれどもね。
訴求力のあるCGなり、物語による価値付けなり。
『にゃんこ大戦争』の場合は、ヘタウマ系のにゃんこに愛着が湧くのが一つの魅力なのかなとは思う。

まあしかし、それだけで『にゃんこ大戦争』の素晴らしさを理解したことにはならないか。
壁役、妨害役、アタッカーとキャラに役割があって、そこを理解した上でデッキを編成しないとクリア出来ないように出来てるんだ、このゲームは。
妨害キャラ一つで展開が全く違ってくるからね。
大量のキャラがわらわら動くゲームなんてのは今どきたくさんあるわけで、その中でもよく出来ているんだろう。
6年も続いている人気コンテンツだけあって。


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