なぜか「マリオゴルフ64」を頻繁にプレイするようになった。 いや別に『なぜか』という必要はないかもしれないのだが、それほど遊ばないだろうなあと思っていた割にはよくやっている。 確かに手軽に遊べるし、アプローチのラン(転がり)を使った寄せ方がわかってくると、ぐっと面白さが広がってくる。 しかし、どうも純粋に「マリオゴルフ64」が面白いから、という理由だけでは今のこのプレイを説明できないような気がしている。 平たくいえば、それは『逃げ』なんじゃないか? というのも、今プレイしなければならないゲームが他にあるからだ。 その名は「バイオレンスキラー」。 gemziというブランドで発売された、ハイレゾパック対応第1号のゲームだ。 時々、手強いゲームをやらなければいけない、と思うことがある。 ギャルゲーのような時間に負荷がかけられているタイプのゲームばかりやっていると、これじゃダメだろうって。 なんといっても世界一のゲーマーを目指すわけだし。(いや、マジで) ギャルゲーであろうがなんであろうが、楽しめればそれで良いんだ、と思ってはいても、やはり不安になってしまうものだ。 そういった意味合いで買ってきたのが「バイオレンスキラー」だった。 海外PCゲームの移植物は、得てして我々には荷が重い場合が多い。 ハイレゾパックの具合を見てみたかったというのもあったのだが、高難易度であることが想像に難くないこのゲームを敢えて買ったのは、半ばゲーマーとしての義務感からだったろう。 実際やってみると、面白さがわからないわけではないのだが、とにかくどこへ行ったらいいかわからない。 マップがないってこんなにも辛いことだったのか、としみじみ感じた。 いま動かしたレバーが、どこの扉を開けたことになるのかもわからない。 最初のミッションで早くもギブアップ気味だ。 いったん中断すると、電源を入れるのに激しい躊躇を伴う。 そういったとき、横に置いてある「マリオゴルフ64」につい手がでてしまう。 とにかく安心だ。 この先に苦しさがないとわかっているということは、これほどにも安心するものなのかと改めて気づかされる。 「マリオゴルフ64」は偉大だ。 『これじゃダメでしょ! お金もかかってるし。 何より自分、世界一のゲーマーになるんじゃなかったのかよ!』 と自分を奮い立たせようと思うのだけれど、体は動いてくれないのだった。 <語注> 「自分」というのは、相手のこと。 変な言い回しのように感じるかもしれないが、こういう使い方はある。 方言かな? |