人間は万物の霊長であるという。 果たして本当にそうだろうか? 『FOREVER BLUE』をやっていると、どうにも我々は敗残者に過ぎないのではないかと思えて仕方ない。 そもそも生命は海で生まれた。 いろいろ説はあるようだが、これは間違いないだろう。 少なくとも海水がなければ、生命は生まれ得ない。 海で生まれた生命は出来ることならば海に留まり続けたかったはず。 海を離れたのは、やむを得なかったからだ。 海から陸へと移ってきた我らがご先祖は生存競争から逃げ出した弱者だったにちがいない。 たまたま昨日(8/26)に「ダーウィンが来た!」という番組で、パラオの海が紹介されていたけど、『FOREVER BLUE』の世界にそっくりだった。 どう見てもこの海をモデルにしたに違いない、と思ったな。 映像を見ていて、なんという海の豊かさだろうと驚いた。 地上とは生物の密度が違う。 海中と地上では養える生物の量が圧倒的に違うのである。 ただし、『FOREVER BLUE』の中では、この圧倒的な生物の密度を感じることは出来ない。 なにせ生物の密度を上げるには、マシンパワーを上げるか、一つ一つのクオリティを下げるしかないからね。 ある程度の線で妥協せざるを得ないだろう。 このゲームの中で一番強く海の偉大さを感じることができるのは、やはり大きな生物に出会ったときだな。 ジンベエザメとかシロナガスクジラとかね。 荘厳なBGMとも相まって、あの大きさには圧倒される。 体が大きいって事は、それだけ食料があるって事だ。 それは豊かさの象徴なんだな。 そして、海の中では大きいことがさほどデメリットにならない。 浮力が重さを消してくれるのだ。 やっぱ海ってスゲーよなっ、人間ってちっぽけだなって感じるでしょ、これは。 所詮我々人間は敗残者の末裔ですよ。 ゲームとは直接関係ない話だけれども、海の偉大さを感じずにはいられなかった。 この『FOREVER BLUE』にはそれだけの力があったのである。 |