The Last of Us Part II_2

ゲームがシナリオに合わない 2020_07_09

 

『The Last of Us Part II』。
これは書きたいことがイッパイあるゲームだな。
エンディングを見て私が思ったのは、こんなんでは許されないだろ、ということであった。
なぜなら、他にもたくさん殺してきたから。
これほど人をたくさん殺すゲームでこんなシナリオは成立しない、少なくとも私のバランス感覚では。
今回は前回にも増して細かいところまで書くことになるので、これからプレイするつもりのある方は読み進めないで下さい。


私はジョエルが死ぬことに関しては全然構わないと思っている。
ジョエルは全人類の未来よりも自分の気持ちを優先させた男なので、背負った業の深さは自分が誰よりも分かっているはず。
殺されても仕方がない。
問題なのはむしろ二人が死なないことだ。
ダブル主人公のエリーとアビーが。

だって、道中でメチャメチャ殺してるじゃん。
ホントに虫けらのように人を殺していくの。
ステルスキルを中心に据えたゲームだから仕方がないんだろうけど、とにかく人の命が軽いゲームなんだ、これは。
それなのに、動画部分になると急に道徳的な行動をとるのはどう考えてもオカシイ。

一番笑ったのは、アビーにトミー(ジョエルの弟)を人質にとられて、エリーが銃を捨て時だな。
オマケに「悪いのは私だから、他の人は殺さないで」みたいなセリフを吐いちゃうの。
どの口がゆってんの?と思ったね。
散々人を殺しておいて、あまつさえアビーの居所を吐かせるために拷問までやったくせに、どんな神経しとんねんって。
そこは銃を捨てずに戦うべきだろ。

アビーはアビーでおかしいんだよ。
エリーを殺せるのに殺さなかった。
妊婦は殺さなくて良いけど、エリーは殺さなきゃダメだろ。
元サヤに収まりそうだった元彼と恋敵とはいえ身重の友人を殺されたわけでしょ。
怒りをぶつけろよ。
そうじゃなかったら、昨日まで仲間だった連中を手にかけてまでここに来たこととの整合が取れなくなっちゃうよ。

最後の最後でエリーがアビーを殺さなかったのが間違っているとは言えない。
エリーの怒りが実は自分に対する怒りに他ならないことに、自分で気付いてしまったから。
それはジョエルを許せないまま死なせてしまったことに対する自分への怒り。
ジョエル、エリー、アビーの三者だけを考えれば、最後は問題ないとも言える。
しかし、やはりそれ以外の人たち、たくさん殺してきた人たちに対してはなんの解決にもなっていない。
新たな憎悪を一杯ばらまいてきたわけだからね。
ゲーム内容からして、このシナリオはそもそも無理だと思う、私は。

どうしてもこのシナリオを維持したいというのであれば、せめてエリーは死ぬべきだよ、私のバランス感覚だと。
最後にギター弾いてるときに、突如初めて登場したローティーンぐらいの子供にエリーが額を撃ち抜かれてエンドロールへ。
そいつはここまでに殺してきた誰かの子供なんだけど、説明は一切しない。
突然エンドロールが始まる。
それぐらいやってもらわないとバランスが取れない。
復讐に取り憑かれて指2本と何よりも大切なものを失いました、ぐらいではこの物語は成立しませんよ。


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