人間の世界を描くのに、敢えて人間を使わないことはしばしば見受けられる。 手塚先生は動物を使ったし、藤子先生は植物を使ったこともあったかな。 最近はロボットだったり、実体を持たない人工知能だったりすることもある。 人間ではどうしてもダメだって事もあるんだよね。 現実社会に生きていると割り切れないことはいっぱいあるし、いろいろ言われても素直に受け入れられない。 たとえ問題に答えを示したところで、現実に世の中は何も変わっていないじゃないか、と思うこともあるだろう。 人間じゃない何か。 人間のように考える力を持ちながら、それでいて理想を語っても不自然ではない存在。 そんなものがいれば、人間の何かしらを描くのに極めて都合が良いであろう。 『スーパーポケモンスクランブル』を買おうと思ったのに、間違えて『不思議のポケモンダンジョン マグナゲートの∞迷宮』を発注してしまった。 今更ときめく作品でもないので、発注も適当だったな。 しょうがないからやるか、ぐらいの感じでプレイし始めた。 ホントはこのゲーム、あんまりやりたくなかった。 ポケモンが言葉を喋ることが許され、人間に使役されないで主体的に生きいてること自体は、私は結構好き。 アニメのポケモンとか観ていると、なんでポケモンが人間の娯楽のために戦わなあかんねん、と思うからね。 でも、自分人間だから最後は自分の世界に帰らなきゃいけないじゃん。 最後はピカチュウと別れなきゃいけないんだよ。 だいたい分かってたんだ。 ゲームの中身はもういいだろう。 前と大差ない。 少なくともエンディングまでは、不思議のダンジョンというより、単なるRPGである。 それもビックリするぐらいベタなストーリーの。 人間の世界でこんな話だったら笑っちゃうよ。 それでも、まあまあなんとかプレイできるのは、やっぱりポケモンの世界だからなんだろうな。 で、エンディング。 だいたい予想通りの展開。 そして予想通り、メチャクチャ純真で健気なわけですよ、ピカチュウが。 こんな事言う人間が実在したら、私は何か裏があるんじゃないかと疑うところである。 「俺の財産が目当てか!」ってね。 それが不思議なことにピカチュウだと納得できちゃうんだな。 もう号泣ですよ、ピカチュウとの別れに。 エンディングがヤケに長くて、ティッシュが一箱空になったぐらい。 もうやる前から、こうなるのは分かってたんだ。 だからやりたくなかったんだよ。 <余談 2013_06_14> 前から気になってるんだが、なんでポケモンを「匹」で数えるんだろう? 人間いないのに、自分たちを獣だと認識しているのはおかしいだろ。 人間の言葉を使っているんだから「人」でもいいし、平仮名で「ひとり」「ふたり」「みんな」でもいいと思うんだが。 |