『FF9』は新品では買わない。 新品の流通が止まった頃に中古で購入してやる。 意地でもスクウェアになんか儲けさせてやるもんか! それはゲーマーとして、とても褒められた行為とは言えないが、かつてスクウェアがSSに参入してくれなかった恨みは今も続いている。 もちろんそれはナムコだって同じ事。 ナムコ抜きにはPSの立ち上げは考えられなかったし、SSに参入もしてくれなかった。 しかし、一応ナムコはDCに参入しているのだ。 「買ってあげないとまた逃げちゃいそうだから」。 それが『ミスタードリラー』を購入した動機だった。 私はこのゲームがアーケードで稼働中であるということすら知らなかったのである。 プレイしてみて、最初に思ったのは「ああ、よくある落ちゲーの仲間ね」という感想だった。 形態は地面を掘っていくアクションゲームなのだが、私は『テトリス』→『コラムス』→『ぷよぷよ』と続く「落ちゲー」の仲間だと感じたのだ。 その感想は今も変わらない。 しかし遊んでいくうち、これは抽出する行為なんだな、と思うようになった。 つまり「落ちゲー」の何が面白いのか?という部分を煮詰めていって、連鎖を抽出した。 ただ、その連鎖をプラスの面としてだけではなく、負荷としてアクションパズルに仕立て上げたところが、このゲームの新しいところだろう。 今までの落ちゲーを研究した結果として生まれてきたに違いない。 ギリギリセーフの時の演出なんかも、落ちゲーの「間一髪」感から転換したものなんじゃないだろうか。 「ああ、これはよく研究してるな」と思ったゲームが過去にもあった。 なんだか全然分野が違うのだが、『トゥルーラブストーリー〜リメンバーマイハート〜』というギャルゲーをプレイしたときのことだ。 大変面白いと思った。 『ときメモ』の中の何が面白くて何が冗長なのかを、よく研究した結果が反映されていたのである。 要するにプレイヤーはキャラクターとの絡みの方を楽しみにしているわけで、パラメーターの上げ下げなんかどうでも良いだろう、という割り切りがこのゲームの素晴らしさだった。(しかし、そのことが逆に大ブレイクには至らなかった原因だと私は思うのだが) その上で、下校会話シーンを付け加えることによって、新しいゲームとして成立していたように思う。 その反面、過去の偉大な作品を研究していないゲームのなんと多いことか。 反省すべきである。 似たようなゲームだって構わない。 ブレイクしたゲームから面白さのエッセンスを抽出する事は大変重要なことだ。 その上で新しい要素を加えていけば、ゲームはもっと面白くなっていく可能性を秘めているのだ。 もちろん、そればっかりになったらつまらない。 創る方だって、過去のことばかり気にしていたらつまらないだろう。 しかし、それも必要なのだ。 『ミスタードリラー』はそういう意味で大きな成功を収めたと言って良いのではないだろうか。 私は際限なくリプレイしてしまう自分を見つけることがある。 ただ、一つだけ苦言を呈しておくとすれば、「自分が上手くなっている」という実感がわかないこと。 地下1000mまでたどり着ける日は来るのだろうか。 |