「B棟7階で火災が発生しました。 <中略> これは避難訓練です。繰り返します、これは避難訓練です。 <中略> This is a drill, this is a drill.」 へ〜、避難訓練って「drill」っていうんだ、と避難訓練のアナウンスを聴いて思った。 「ドリル」っていうと、算数のドリルみたいで、なんか可笑しい。 だが、辞書で調べてみると、確かに避難訓練も「drill」である。 思いがけず勉強になったなあ、と思ったその夜、私はもう一つの「drill」を体験することになった。 その夜は『ファイナルファンタジー]』(以下、『FF]』)を始めて、2日目の夜でもあったのだ。 『FF]』はどうも、相性を前面に押し出した戦闘シーンを狙ったゲームのようである。 地上いる普通の敵はHIV(主人公)が攻撃して良いですよ、というのはさすがに暗黙の了解である。 しかし、宙に浮いている敵が出てくると、これはワッカ(という名前のキャラ)が担当するんですよ、と教えられるわけだ。 更にご丁寧なことには、物理攻撃に強い敵が出てくると、これはルールー(という名前のキャラ)が黒魔法で攻撃するんです、とまで説明は続く。 そして驚いたことには、その後に前出の敵3体が同時に出てきた。 教えられたとおり、相性のいいキャラで攻撃すると、それぞれ一撃ずつで倒すことが出来たのである。 戦闘は無傷で終了した。 で、思った。 これお前・・、ドリルじゃねえか。 かけ算のドリルとなんにも違わないだろ。 私達は小学2年生だったのだ! なんて書くと、『FF]』を馬鹿にしているように思うかもしれないが、全くそうではない。 私はむしろ感動を覚えた。 そこに苦しさは皆無だったのである。 なぜならば、「drill」というものがとてもイヤなものなんだ、ということもちゃんと計算に入れて、イベント間を短く設定してあったからだ。 俺達ってよっぽど根性なしだと思われてるんだな、とは思ったが、ゲームはとても心地よかったのである。 『FF\』で感じていた「立ち上げの苦しさに苦しさを重ねない」ということを、徹底してやって見せた結果なんだろう。 まことに天晴れである。 ただ、創っている方たちは、もはや「ゲームを創っている」という感覚ではないだろう。 おそらく、小学校の先生、もしくは幼稚園の保母(保父)さんのそれであると想像している。 <余談ですが> 戦闘訓練もまた「drill」のようです。 |