今どきのゲームはほとんど覚えることで構成されている。 動体視力であったり、パターン認識力であったり、指の器用さなんかをゲームの中心に据えてしまうと、多くのプレイヤーはついていくことが出来ない。 シューティングゲームや格闘ゲームの末路を見れば、それは明らかだ。 誰だってわざわざお金を払って自分が劣っていることを確認したくはないだろう。 一方で、ポケモンなり、モンスターハンターなんかは、それほど操作の習熟を問わない。 敵の特性であったり、アイテムの特性などの知識を蓄えることでおおよそ対応できる。 覚えれば良いんだ。 人間、覚えることだけはそんなに差が出ない。 たくさんのプレイヤーに提示するには「覚えること」をゲームにするしかないのである。 ゲームを構成するにあたって、唯一残されたフロンティアが「覚えること」だった。 しかし、もう覚えることすら許されないとしたら、一体何が残るだろうか? 『マリオ&ルイージRPG4 ドリームアドベンチャー』はよく出来た作品だった。 敵の攻撃を見分ける部分とボタン押しの2段階でゲームを提供する手法は今回も健在だ。 ただコマンド入力するだけのゲームよりずっとやりがいがある。 しかも、今回はキャラが可愛くて楽しかった。 全く危機感を感じさせないポジティブなテキストも読んでいて気持ちよかった。 下画面の使い方にも優れている。 下に操作対象物を表示させつつ、上画面と連動させるやり方は、今後3DSのお手本になっていくだろう。 若干喋りすぎのような気はするけど、今まで以上に作品としてまとまっている印象だったな。 しかし、である。 私はメンド臭いな、とも思っていた。 何がメンド臭いって覚えることが。 オープニングからエンディングまで、ずっと覚えることが続く。 新しい敵の攻撃方法、新しいギミック、新しい必殺技・・・etc。 必要なことを必要なときに必要なだけプレイヤーに教えていくのが今どきのゲームなので、ひとつ覚えてクリア、またひとつ覚えてクリア、の展開が延々と続く。 いつ終わるんだろ、覚えるってしんどいなって思っていた。 戦闘で使うボタンを2つに減らしたことも影響しているのかな。 その分、フィールド上のアクションを増やして、LRでアクションを切り替える方式を採用している。 タイミングを甘くしてる分、場合分けでゲームを稼いでいる感じなのかな。 それはそれでバランスが取れてはいるんだけど、問題なのは、覚えたことを十分に使う前にまた新しいことを覚えているような気分になることである。 ボス戦で覚えたことは、そのボスでしか通用しない。 闘いが終わったら無用の知識に変わる。 雑魚敵は復活しないから、同じ敵と何百回も戦うわけじゃ無い。 でも、雑魚敵の攻撃方法を理解し、完全に見切れるようになるには数回から数十回はかかってしまう。 せっかく覚えたのに、成果を発揮する前に次に進んじゃうんだよ。 フィールド上のギミックなんて、そんなにたくさんバリュエーションは創れないから、すぐにクリアして、また次のアクションを覚えることになる。 だから、ずっと覚えてばっかりいるような気がするんだ。 いま流行りの基本無料ゲームって、ずっとおんなじ事してるでしょ。 たぶんああいうのが楽なんだよ。 覚えることがメンド臭いと感じることも、それと無関係じゃ無いのかも。 ラクな娯楽が巷に溢れることで、もやは「覚えること」すらもプレイヤーに強いることが出来なくなってしまう。 最後の砦を失ったら、我々が慣れ親しんできたゲームは一体どうなってしまうのか。 覚えることを大量に用意しておくことで、パッケージのボリュームを保証してきたというのに・・・。 <追加> 答えのひとつは、やはりある程度は習熟を問うことなのかな。 覚えることを減らして、ある程度上手くなるまでやって貰う。 その代わり他人とは比較しない、させない。 『パズドラ』なんかは、そういう点で優れているような気はする。 |