初音ミク Project DIVA F 2nd、PSV版

ゲーム狂の詩 2014_05_02

 

テレビゲームというゲームは何らかの方法で得をしなければならない、と私はいつも書いている。
娯楽だからね。
しかし、ホントは得をしない方が美しい。
その行為になんの価値もなんの意味も無い方が美しいのである。
ただやりたいからやる、というだけでイイのだ。
私は独りでゲームをするってのは究極のアマチュアリズムだと思っている。
仮にこの感覚を詩に託そうとしても、ちょっと難しいことに気付く。
というのは、一口にゲームといっても具体的にはそれぞれが異なるルールに基づいており、思い浮かべるモノが人によって違うからである。
かといって、誰もが知っているゲームを取り上げてもやはりダメだ。
なぜならば、みんなが知っていること自体が価値を持っているからである。
ゲームの美しさを表現するには、その行為がなんの意味もなんの価値もないことが見れば分かる、というような対象が必要なのかもしれない。

ところで、PSV版の『初音ミク Project DIVA F 2nd』を買った。
まだ『mirai2』が終わってないので買うつもりはなかったのだが、値崩れしてたからとりあえず入手しただけである。
PSVのボタンは押しにくいし、指は痛いし、特に一生懸命やるつもりもなかった。
あの詩(うた)に出会うまでは。

気になる詩があったんだ。
それは「ダブルラリアット」。
歌詞が聞き取りやすいから、気付いてしまった。
「ただ回ることが楽しかった。このままでいたかった。」ってなんじゃそりゃ?。
プロレスの詩なのか?と思ったが、ダブルラリアットを使うレスラーには心当たりがない。
長州力が両腕でラリアットするのは見たことあるけど、回転している人は見たことないな。
強いて言えば、『ファイナルファイト』のハガーぐらいか。
だいたいさ、回転するダブルラリアットなんて意味ないんだよ。
だって、相手が飛び込んでこなければ当たらないんだから。
ダブルラリアットなんて誰もやるはずない・・・と、ここまで考えてきて、やっと気付いた。
これ、ゲームの詩なんだな。
「ダブルラリアット」はゲームの象徴なんだよ。

「周りの仲間達が自分より上手く回れるのを、仕方ないと一言、つぶやいて諦めたふりをしていた」なんてのは、これは思い当たるな。
あまりにも上手い人がいると、ホントはやりたいのに意欲を隠す事ってあるじゃん。
「周りの仲間達が自分より高く回れるから、下から眺めるのは、首が痛いと拗ねたふりをしていた」ってのも分かるな。
スコアアタックのランキングで上位の連中とあまりにもレベルが違うと、そこまでやってもしょうがないだろ、とかいいつつ、ホントはもっと上手くなりたい時ってあるじゃん。
これほどゲーマーの心理を的確に表した詩もちょっと記憶にない。

回転半径がどんどん大きくなっていくのは、上手くなっていくのを表現しているのか、あるいは自己が肥大化していくのを表現しているのか。
どっちにもとれるけど、「離れていて下さい」といってるから、後者の方かな。
それにも心当たりがある。
枯れると、身の丈に戻ってくるあたりも納得出来た。

よくまた、こんな詩を思いついたもんだよ。
思いつくだけじゃなく、曲がりなりにも作品として仕上げたんだから、驚くべき事だ。
この詩を書いたヤツは凄いとしか言いようがない。
これに応えるには、プレイを以てするしかないか。
具体的にはEXTREMEのパーフェクトで。


<註>
引用部分、記憶で書いているので適当です。


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